患者体験談

今回は親子でクローン病のはるさんに体験談を寄稿いただきました。

体験談①では娘さんについて、②ではお母さんのはるさんご自身について、記載いただいています。治療、食事、学校生活、お仕事など多彩な内容です。多くの方に参考になるのではと思います。ぜひご一読いただければと思います。

 

グッテスタッフ

 

 

娘さんについて

ーークローン病の発症はいつ頃ですか?また、発症時の症状や状況を教えてください。

2018年9月発症

39℃を超える発熱が続き内科を受診。熱以外目立った症状はなく少し咳が出る、下痢をする程度でした。総合感冒薬で経過を見るが高熱が1週間以上続き肺炎を疑いレントゲンを撮るも問題なしでしたが、さらに1週間高熱が続き、大きな病院の呼吸器内科を紹介されました。

レントゲン上問題ないが採血でマイコプラズマが陽性とのことで抗生剤を変更。効果なく発熱と下痢が増える。消化器内科へ紹介され便検査で感染症は否定的。「明日大腸カメラを至急でしましょう。」と言ってくださり、大腸カメラ予約。ニフレックなどの下剤をもらい帰宅。その日の夜中に北海道胆振東部地震が起き、停電している中、朝から下剤を開始し病院は診療を行っているとのことで朝一で受診しました。信号も止まっていたり自宅では停電も続いておりかなり不安な中の受診でしたが、地震の影響で外来患者さんが少なくすぐに大腸カメラができました。検査後、医師からは「大腸の粘膜がかなりひどい状態で潰瘍が沢山見られ出血しておりクローン病だと思う。このまま入院してください。」と言われました。採血ではCRPが20超えていました。

 

ーーこれまでの治療の経緯について教えてください。

2018年9月、入院し絶食とプレドニンとペンタサで治療開始しました。2か月以上絶食しエレンタールを少しずつ開始し、プレドニンを段階的に減薬していきました。プレドニンを減らし食事を重湯から開始したりすると下痢や血便が増え、また絶食になるなど、経過が思わしくなく、レミケードとイムランに変更しました。徐々に落ち着いてきて3.5か月ほどで退院。退院時は体重が10㎏近く落ち、げっそり痩せて骨と皮しかない感じで見ていて痛々しかったです。食事は1日2食、エレンタール1日3本、脂質30g/日の食事制限での退院でした。高校は体調を見ながら行ける日に授業を受けに行くという形で徐々に体を慣らしていきました。8週ごとに通院しレミケード投与していました。定期的な大腸カメラでは回盲部に潰瘍はみられ、時折血便や下痢がみられることがあり状況に応じてゼンタコートを期間限定で内服した時期もありました。

徐々に下痢や血便の回数が増え、レミケードを増量し4週に1度の短縮投与に変更。ゼンタコートの投与でしのいできましたが長期継続できないため、レミケード二次無効で3年8か月でレミケードからステラーラに変更(2022年5月~)。9回ほど投与したところで、回盲部の潰瘍改善なく、2023年9月~ヒュミラに変更。(このタイミングで主治医が退職になるとのことで私と同じ大学病院に転院しました。)貧血も酷く生理も酷いため婦人科紹介してもらい、ジエノゲストで生理を止め、貧血も改善。ヒュミラを2か月自己注射したところで評価の大腸カメラ。回盲部の潰瘍改善なく2023年11月~ヒュミラ週1へ増量。2024年4月大腸カメラでやはり回盲部の潰瘍はしつこくて改善なくスキリージに変更し治療中。現在はエレンタール2本/日、脂質制限を継続し、CRPもLRGも基準値内で症状は落ち着いています。

 

ーー診断された時のお気持ちや印象に残っていることは?

高熱が長く続いて原因が分からない状態だったのでやっと診断がつき治療ができるとホッとした思いと、どうしてこの子ばかりつらい試練が降りかかるのかと胸が張り裂けそうな気持ちでいっぱいでした。(双子で未熟児で生まれ、その時の影響で脳性麻痺もあり、色々と頑張って生きてきたので)胆振東部地震でライフラインが止まっていたり普段と違う状況だったのも不安を増強させていて、入院して病院に娘を置いて帰るときには私の方が泣いてしまいました。娘も相当不安だったと思いますが、入院生活は同室の患者さんたち(娘からするとおばあちゃん位の方々)が娘に優しくしてくださり思っていたより楽しく入院生活が送れていました。

 

ーー学校生活についてはどうでしたか?困ったことはありましたか?

高校3年生の夏に発症し、3か月以上休んだので、出席日数が足りず留年となりました。(規則で病欠でも出席日数が足りなければ留年という決まりでした。)翌年無事に卒業しましたが、エレンタールを持参し高校に通っていました。休み時間などにエレンタールを飲むことへの理解はしてもらえたので、比較的困ることはなく過ごせてはいました。高校生だったので給食もなくお弁当を持参だったので、それも特に困ることはありませんでした。娘自身はみんなと一緒に卒業できなくて寂しさや悔しさは感じていたと思いますが、めげずに前向きに学校に通っていました。

 

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