患者体験談

今、私は24歳です。今年の4月から病院薬剤師として働いています。
初めて潰瘍性大腸炎の症状が出たのは2009年の4月。翌年に診断を受け2017年の3月に手術をし、大腸を失うのと引き換えに病気からは卒業しました。
潰瘍性大腸炎なんかになりたくなかった。
でも薬剤師として働くという人生を選んだのは潰瘍性大腸炎があったからです。
そんな私の薬剤師になった道のりを今回書こうと思います。
ーー診断〜高校生活
潰瘍性大腸炎と診断されたのは高校1年生の6月頃だったと思います。私は突然言い渡された病名に戸惑いを隠しきれませんでした。
現代の医学では完治しない。原因もわからない。病気といえばインフルエンザ程度しかなったことのない私にとって絶望を感じさせるには充分でした。
なぜこんな病気になる体に産んだのか、なぜ私だけが病気になったのか…両親には酷い言葉をたくさんぶつけました。両親と一緒に泣きました。
出席日数もギリギリだったため病院から外出許可をもらい学校へ通学した日もありました。
夜中30分おきに腹痛で目覚めトイレに駆け込む生活。我が家では廊下の電気は消さずに明るいままにしておくのが当たり前になっていました。
寒い夜中にトイレで寝てしまい、日和見感染を起こし肺炎になったこともありました。退院した際には家のトイレにヒーターが置いてありました。
再燃期は各駅停車の電車にも怖くて乗れず、親が送り迎えをする生活が当たり前でした。その時は1日を乗り切るのに必死で何も感じませんでしたが今振り返ると親の献身的な支えにありがたさを感じています。
ーー薬剤師になろうと思ったきっかけ
入退院を繰り返しながら高校3年生になり、進路をどうするか考える日々になりました。
もちろん授業にはついていけず成績は悪かったです。テスト前だから勉強しようと思い机に向かっても数十分おきにトイレに駆け込んでいては勉強なんて満足にできませんでした。もはや私は勉強することを諦めていました。
将来どうしようか、、と考えていたときにふと頭をよぎったのは入院中に服薬指導に来ていただいた病院薬剤師の方でした。
すらっとした女性で白衣を着ており、片仮名の呪文のような薬剤名を一つ一つ説明してくださる様子にかっこいいなという印象を持っていました。
なぜあの時ふと浮かんだのかはわかりませんが初めて病院薬剤師にお会いした時から潜在的な憧れがあったのかもしれません。
「そうだ、あの人のような病院薬剤師になろう。」そう決めた私は次の日学校で担任の先生に相談し、先生は私立大学を勧めてくれました。
周りは国公立大学を目指し勉強している中、私立大学を専願する人はほぼいません。浪人しても結局体調に振り回されて1年終わるだろうと思っていたので私立専願で薬学部のある大学をいくつか受けることにしました。
ただ、高3の秋に基礎の基礎を勉強していたら友人に「まだそこやってんの?」と言われたのは流石に傷ついてその日家で泣きました。(笑)
ーー大学生活〜大腸全摘
運良く私立大学の薬学部に合格し、大学生になりました。
体調の良い時は友人と旅行に行ったりしていましたが相変わらず再燃期もあり出席が足りないと留年になるので体調が悪い時は親の送り迎えは必須、ヘロヘロな状態でレポートを提出し、そのまま点滴をしに行くこともありました。
相変わらず成績は悪かったですが運良く進級はできました。ただ高校と違ったのは教授陣も医療関係者だということです。理解が早く入院時も助かりました。
入退院を繰り返しながらも4年生になり、文系の友人は就職活動を始めました。
社会人になる準備を進めている友人を見ていて、自分はこのままじゃ満足に働けないなという漠然とした不安に駆られました。学校は休めても、職場は休めないからです。自分が社会人として働く具体的なイメージが全くできませんでした。
そのとき自分が背水の陣状態であることを気づき大腸全摘する手術を受けるしかないと覚悟を決め、親に伝えました。
高校生の頃にも手術は勧められましたが絶対に嫌!と拒否していた自分がすんなりと受け入れることができたこと。
自分でも大人になったなと思いました。これが今の人生の中で最大の選択だったと思います。
春休みを利用し手術を受けました。手術台の上に乗って怖くて泣きました。この時22歳。自分と同年代の看護師さんに手を握ってもらい励ましてもらっていました。
ーー大腸全摘後の生活
ストマ閉鎖後に退院、少し研究室を休み日常生活のリハビリを行い大学に復帰。
無事実習を終え遂に6年生。国家試験の勉強をする時期になりました。
一般の人よりかはトイレの回数は多いですが腹痛もなく、便意も我慢できる。QOLは格段に上がっていました。
基礎の基礎から国試勉強を始め、恥を捨て分からないことは友人にたくさん質問しました。
200人以上いる学年で下から30番以内だった私が1年で学年順位50番まで上がりました。
模試を受けるたびに成績が上がっていく様子に、勉強が楽しい!と何年振りに感じたか。普通の人と同じように勉強に打ち込むことができて本当に嬉しかったです。
ーー国家試験合格〜社会人になって
そして今年の2月に国家試験を受け合格。病院から内定を受けていた私は夢だった病院薬剤師になりました。
また、就職を機に一人暮らしも始めました。
薬剤部長には病気があること、大腸全摘をしていることは伝えています。ただ、特別なサポートは必要ないことも伝えています。
9月からは病棟業務にも配属されるようになり、勉強不足を痛感しながらも充実した日々を送っています。
私は運良く周りに恵まれて闘病生活を乗り越えることができました。
大学ではクローン病の友人に出会い、過敏性腸症候群の友人もいます。
実家の隣の家の奥さんも潰瘍性大腸炎。友人の親の友人も潰瘍性大腸炎。
視野を広げると苦しんでいるのは1人じゃないんだなと感じることもできました。
ーー今苦しんでいる学生の皆さんへ
誰にも言えないような辛い経験がたくさんあると思います。私にもあります。
ただ焦らずに、たまには休憩しながら、自分に悔いのない治療の選択をしていただければと思います。
ーー病気の子を持つ親御さんへ
不安なことたくさんあると思います。
ただ私は子供さんの話を聞いてあげてほしい。
病気の診断につながる主症状などはありますが病状のテンプレートは存在しません。
一人一人の症状があります。
人と比べず、自分の考えを押し付けず、ただ話を聞いてほしいです。友人には言えないので。
きつい言葉を向けられることもあるかもしれません。
でも、気持ちの整理がついていないだけです。本心ではないです。
唯一の弱みを見せれること、理解者になってくれるのは私たち子供にとって一番身近な親しかいないのです。
ーー最後に
医学は日進月歩です。職場でも毎月のように新薬の説明会があります。
UCがいつ完治する病気になるかもわかりません。それが明日かもしれないし、100年後かもしれない。
ただ私は大腸全摘の選択をしたことを後悔はしていません。
私にとって潰瘍性大腸炎が薬剤師人生への道しるべでした。
薬剤師になったことも後悔はしていません。なぜなら自分が最終的に全て決めたから。
西洋医学も東洋医学もできる治療は全て行いました。8年間の闘病生活に後悔はないです。
あれだけ悩まされたナイフで刺される感覚の、うずくまってしまうほどのあのお腹の痛みも具体的には思い出せなくなってきました。
手術の傷跡も人工肛門跡もありますが今は病気と闘った勲章だと思っています。これ以上辛いことはしばらくないだろう。
私があの時の薬剤師さんに影響を受けたように、私も誰かに影響を与えられるような人になりたい。
大学の先生に言われた「あなたは他の人より苦労している。あなたは絶対に良い薬剤師になる」という言葉を忘れずに心に留めています。
祖父が言ってた「人生死ぬときにプラスマイナスゼロだったら充分。」自分は今はマイナスが先行していると思う。自分も幸せになる権利はある。そう思い前向きに今後の人生を歩んでいくつもりです。
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