患者体験談

ーー自己紹介
HN ▶︎ ぽめたに
居住地 ▶︎ 島根県
年齢 ▶︎ 20代
病歴 ▶︎ 8年
ーーはじめに
今回はこのような機会を頂き本当にありがとうございます。
拙い文章ではありますが病気を発症してから現在に至るでに経験したことを書かせていただきましたので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ーー発症
私がクローン病を発症したのは、高校2年生の2学期後半の頃でした。元々腹痛などの症状はあり近所の医院に受診していましたが、お腹の風邪という診断でした。
当時私は演劇部に所属しており舞台に立つことが大好きでした。しかし、腹痛などの症状が出てきてからは食事をすることが怖くなり食事を取らずに学校生活を送り、その状態で部活にも参加していました。
初めは下痢や腹痛が起きる回数も少なく、食事を取らなければ生活に大きく支障をきたすことはありませんでしたが、少しずつ下痢回数が増え授業中にトイレへ行く回数が増えていきました。
腹痛が起きてから便意を催すまでの間隔が徐々に狭くなり、トイレに間に合わない事もありました。
まだ診断も付いていない時だったので、自分でできる対策は昼食を抜く事だけでした。
幸いにも部活中は好きな時にトイレに通える環境だったので昼食を抜いた分夕方の部活前に食事を取るようにしていました。
体調は少しずつ悪化していき、午後になると微熱を出すようになりました。その頃から午後は保健室で過ごすことが増えていきました。
ーー診断
少しずつ体重や体力も落ちていき、学校へ通っていても授業中や休み時間はほぼ寝て過ごしていました。
夜にトイレ回数が多く眠れなかったことも原因だと思います。
クラスの中では良く寝る人というキャラが定着していたため友達にはネタとして受け入れてもらえていましたが、先生には面談で注意を受けたりしました。
授業中に寝てしまうことは自分ではどうにもならず、寝るというより意識が飛ぶという感覚に近かったと思います。
その頃、部活動が全国大会へ繋がる大切な大会を控えていたので体調はギリギリでしたが病院へは行かずに騙し騙し学校生活を送っていました。
大会も終わり冬休みに入ってからは毎日39度以上の高熱を出すようになり、食事も喉を通らなくなりました。
ずっと通っていた医院の先生に紹介状を書いてもらい、地元の病院へ行くことになりました。
親に連れられて病院受診をし、入院をして大腸内視鏡をしてもらいました。検査後はすぐに「クローン病」という診断がつき、そのままステロイドと絶食、エレンタールでの治療が始まりました。
私自身楽観的な性格だったことやクローン病に対する知識が皆無だったため「なんか凄い名前だな~。まぁ、なんとかなるでしょ。」ぐらいにしか思っていませんでした。母は診断がついてとても安心していました。
初めてクローン病で入院した病院は母の勤めている病院だったので、母は毎日私の病室(個室)に寝泊まりし、仕事に行っていました。社会人になった今だからこそ分かるのですが、自分の職場に寝泊りするのは気持ちも心も休まらなかっただろうなと思います。
入院してから数日が過ぎ、ペンタサも始まりましたが、2日で顔に紅斑ができてしまい、中止になりステロイドも効果が出ず少しずつ減らすことになりました。
エレンタールは発症してから現在まで飲み続けていますが、最初は味が苦手で飲んでもすぐに吐き出してしまい、チューブで経鼻摂取をしていました。
絶食で少し体調が落ち着いたため少しずつ食事もしていました。
最初の入院生活では体調は悪くても楽しい記憶が多いです。栄養士さんが毎日美味しい食事を考えてくれたり、私の誕生日にはずっと食べたいと言っていたお好み焼きを出してくれたりしました。
看護師さんも毎日のように話に来てくれて大好きなアーティストの話しをしました。時には雑誌を持ってきてくれたりと、学校へは行けなかったけど寂しいと感じることはなかったです。
唯一辛かったのは、大好きな部活に参加することが出来なかった事です。
勉強に対する焦りもありましたがその辺は何とかなるだろうと思っていました。理由としては何かあった時のためにテストではなるべく上位に入るよう努力していたし、先生方にも好かれていた(多分)ので、何とかしてくれるだろうと思っていました。
ーー転院
ステロイドやペンタサが使えなくなり、地元の病院でできる治療に限界が来てしまったため、大きな病院に転院することになりました。そこで今の主治医に出会いました。
転院してからはステロイドを徐々に減らしレミケードを使用することになりました。レミケードが体に合っていたため徐々に回復し入院3ヶ月にして退院、学校へ復帰することができました。
私は病気をオープンにしているので、クラスメイトにも病気の事は伝えてあったし、普通に学校でエレンタールを飲んでいました。
「え!クローン病!?クローン人間なの!?」という件は飽きるほどしてきましたが、ネタにするぐらいが丁度いいと思っていましたし、自分から病気のハードルを下げることで周りも普通に接してくれたのでとても有り難かったです。
食事制限のことも伝えたあったので遊びに行く時も困る事はなく、部活の遠征でも一人ご飯を食べずエレンタールを飲んでいても何も言われませんでした。
3学期はまるまる出ておらず、出席日数も足りませんでしたがこれまでの成績などを加味して補習などで進級させてもらえました。レミケードを使用してからは体調も安定し卒業までは入院せず過ごすことができました。
ーー専門学校入学
高校を無事卒業し作業療法士を目指して専門学校へ入学しました。
作業療法士を目指した理由としては、何か資格を取っておけば病気で入院したり休職しても職を失うことはないかなと思ったからです。
専門学校に入ってからはレポートやテストの勉強で眠れない日々が続き、少しずつ体調が悪化していきました。
私が通っていた学校は先生がとても厳しく毎日のように怒鳴られたり人格否定をされたりしていたのでストレスも体調悪化に影響していたと思います。
専門学校に入学してからは色々なことが重なり、入退院を繰り返すようになりました。
レミケードもアナフィラキシーショックで呼吸困難になったのが原因で使えなくなり、ヒュミラへ移行することになりました。
学校生活は入院しながら外出届けを出して授業に出たりしていました。
2年生の後半にある実習は毎日熱を出しながらなんとか最後まで乗り切りましたが、3年生の初めの実習へ行く直前で入院をしてしまいました。
ヒュミラの効果も無くなってきたので京都へ治験を受けに行くことになり、それを機に留年する事に決めました。
留年という決断はかなり悩みました。持病を持ちながら働いている学校の先生(留年経験あり)に「あなたはもっと自分を大切にしなさい。友達と離れて留年するのは辛いかもしれないけれど資格を取れば関係ないよ。皆んな待ってるから。今のままだと資格も取れない体になるよ。」と言われて決断することができました。
それと同時に今まで目の前の楽しみや幸せを優先して自分の体を省みない行動をずっとしてきたのではないか…と気づくきっかけにもなりました。
留年をして1年やり直し、卒業する事ができました。その後、1度国家試験に落ちましたがリハビリ助手として働きながら2度目の受験で資格を取る事ができました。
留年や国家試験に落ちたことは辛かったですが、結果的に年下の友達が沢山できたので良かったのかなと思っています。
国家試験前に入院したりもしましたが入院しながら勉強をして資格を取る事ができて本当に良かったです。
ーー就職・1度目の休職
資格を取ってからは、リハビリ助手として働いていた施設にそのまま作業療法士として雇って頂きました。
働き出して2ヶ月が過ぎた頃から仕事のストレスなどから体調が悪化し、1年間の休職をしました。就職する時に病気のことは伝えてあったので職場も理解して下さって治療に専念させてもらえました。
入院中に菌に感染してしまい偽膜生腸炎という病気になり、40度の熱が下がらなくなりました。菌に感染していると気づくまでに1週間かかり、クローン病の悪化も重なりとても辛い日々が続きました。
大腸全摘手術の話も出ていましたが、手術3日前に偽膜性腸炎だと分かり、その時は手術を免れる事ができました。
この時の入院から治験薬からステラーラへ移行し体調が安定してきたため退院する事ができました。
ステラーラを使い始めてから2年間は、偽膜性腸炎の再発などはあったものの、大きな体調の悪化はなく過ごす事ができました。
ーー2度目の休職・大腸全摘術
今年の年末年始から少しずつ体調が悪化し、3月あたりから高熱が下がらなくなり食事も取れなくなりました。
水だけでも下痢をしたり吐いたりしてしまったため病院受診をしそのまま入院になりました。
入院中にゼンタコートを使い始めましたが効果が出ず、ヒュミラを以前使用していたより量を増やして使い始めました。しかし、ヒュミラも最初は良かったのですがすぐに効果がなくなりました。
その後、エンタイビオを試しましたが、効いたのは初めだけで1週間で効果がなくなりました。エンタイビオを使用し始めてからCVカテーテルが感染し高熱が下がらなくなり寝たきりの状態になりました。
CV感染が落ち着いた頃に、過去に使えなくなったレミケードを最終手段として使うことになりました。
前回アナフィラキシーショックが出たので最新の注意を払って使用し、点滴は無事終わりましたが、あまり効果を実感する事ができず中止になりました。
高熱・吐き気・腹痛・頭痛で何をしていてもしんどくて眠ることさえできず体温は高くて火照っているのに寒気で震えが止まらず、人生で初めて「誰か私を殺してくれ…。」と思いました。
お腹がかなりの激痛で悔しくてお腹を殴ったりもしました。夜も15~30分置きに下痢(ほとんど間に合わずオムツ生活)で眠れず精神的にもギリギリで毎日泣いて過ごしました。
ずっと渋っていた手術ですが、その頃には「楽になりたいです。早く大腸を取ってください。」と自分から主治医に頼むようになりました。
大腸全摘手術・ストマが決まってからは自然と心が安定してきて、体はしんどくても楽しいことを考える事ができるようになりました。
手術に対して不安もありましたが、主治医に「ぽめちゃんには笑顔でいてほしいし、日常生活を楽しんでほしい。」と言ってもらい、不安より術後の生活が楽しみになりました。手術をして家に帰れる事を親も喜んでくれました。
ストマについてはTwitterでストマ経験のあるフォロワーさんが教えて下さり、手術に向かう私の背中を押してくれました。本当に感謝でいっぱいです。
術後は起き上がるのも歩くのもくしゃみや咳ですら腹部の痛みがありましたが、想像していたより回復が早く、ストマの交換も1人で行えるようになったので2週間で退院する事ができました。
何よりご飯が食べられる事、夜トイレに起きずに眠れる事、吐き気や腹痛や発熱がないことなど全てのことに感動し幸せを感じる事ができるようになりました。
9月後半に退院し、今では大好きな映画を観に行ったり散歩をしたりととても充実した毎日を送っています。
ーー最後に
私は永久ストマになりました。
大腸全摘手術をするまでに沢山の葛藤はありましたが、今は心から手術をして良かったストマにして良かったと思っています。
ストマになるのは正直嫌でした。恋愛や結婚が出来なくなるんじゃないかと悩みました。
しかし、体調が悪い状態でずっと病院にいたら恋愛も何も出来ないじゃないか!と思えるようになりました。
恋愛以前に、友達と遊んだら趣味活動をしたり普通に日常生活を送る事ができない事が辛かったです。周りに取り残されている気分でした。
ストマにした方が人生楽しい!体調悪いなら大腸をとった方がいい!と人に勧めたい訳ではありません。
大腸はあるに越したことはないですので…。でも、ストマになる事が決まっていて先の生活が不安だったり落ち込んでいる人に、ストマでもこんなに楽しく生きている人がいるという事を伝えたいです。
私が背中を押してもらったように、私も誰かの背中を押す手助けができたらいいなと思います。
私自身、ストマになってから「もっと早くに手術していれば、時間が無駄にならなかったかもな…。」と思う事がありました。
しかし、自分がストマになっても後悔しないぐらい内科的治療を試させてもらえたからこそ、今諦めがついているしストマを受け入れる事ができているのだと思います。
もし、今後大腸全摘やストマになる選択を迫られたら自分が納得がいくまで治療をしたか、後悔しないかということが1番大切だと思います。
まだまだ慣れないことも多く、ストマ周りのトラブルとの戦いも続いていますが、しんどかった入院生活に比べたら大したことではありません。
トイレを気にせず普通に生活が出来ることはとても尊いことだなと思います。
12月には大好きなアーティストのLiveも待っているので、ストマとの生活に楽しみながら少しずつ慣れていきたいなと思っています。Liveの後は直腸を取る手術もあるのでしっかり体力をつけていきたいと思います。
長い文章でまとまりもなかったと思いますが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
辛いこともあるかと思いますがお互い一つずつ進んでいきましょう。
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