患者体験談

ーーはじめに
初めまして、きこといいます。今月で2歳になる息子と、夫と、三人で暮らしている31歳の専業主婦です。2009年に潰瘍性大腸炎を発症して10年、再燃と寛解を繰り返しながら過ごしています。
今回はこのような機会をいただいたので、発症から結婚、妊娠、出産と女性ならではの話題を中心に体験談としてお話しできればと思っています。
拙い文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。
ーー発症
私が潰瘍性大腸炎になったのは、新社会人として勤め始めてから9ヵ月の頃です。
データ入力を主とした仕事でそこまで難しいものではなかったのですが、会社自体が所謂昔の人の集まりでストレスが溜まっていて、何より直属の上司が「人生で一番」といっていいほど苦手な方でした。
片道40分かかる職場。道中毎日泣きながら行っていたので相当辛かったんだと思います。笑 気が付けば便に血が混じり、最初は痔かな?と思っていた出血も日に日に酷くなりました。
二ヵ月ほど続いたときに初めて母に相談して、会社近くの個人病院を受診して胃腸炎のお薬で様子を見るも変わらず、人生初の内視鏡検査を受けることに。
このときはもう便回数も増えて、常に微熱と倦怠感があり、毎日を〝普通に過ごすこと"がとても大変でした。
ーー診断
それから医大に紹介状を書いてもらい、色々な検査を受けて潰瘍性大腸炎と診断が下りるまで更に3ヵ月。初期症状が現れてから半年近く経っていました。
比較的スムーズに診断が下りたので助かりましたが、診断が下りるまでにかかった費用は安いものではなかったです。
当時20歳、今までインフルエンザにもかかったことがなく、骨折もなく、本当に健康体で生きてきて、潰瘍性大腸炎が【完治は難しい病気】だと告げられた時はとてもショックが大きかったです。
その後ネットで調べた要因の1つに【食の欧米化】が上がっていましたが、基本的に和食中心の、週3~4で魚が出る実家での食がそれに当てはまるとは思えませんでした。
ただただ、どうして自分なのか、何が悪かったのか、そればかり考えて落ち込みました。
暫く考えて出した私の答えは、〝身体を壊すほどのストレスがある職場にいることない"ということでした。
私が辞めると会社が困る、私がやらないと周りに迷惑がかかる、そう言い聞かせて続けていましたが、「もう自分を労わろう」と決め、三か月後に退職。
病院ではペンタサ錠剤とペンタサ注腸を処方してもらい、日が経つにつれて症状は改善していきました。でも今までの〝普通"が出来ない自分が悲しかったです。
まず公共交通機関に乗れなくなりました。トイレにすぐにいけないと思うと不安でトイレに行きたくなってしまうためです。
付き合っている人と遊びに行っても、トイレ回数が多くて楽しめなかったり、遠出がストレスになって、選択肢から自然と外すようになりました。
はっきり言う人だったので、「またトイレ?」と言われて悔しくて泣いてしまったこともあります。(将来が見えず数ヶ月後に別れます。笑)
食べたいものが食べれず、睡眠時間の短さが悪化に直結するタイプだったので夜更かしも出来なくなり、何をするにしてもお腹のことを考えて行動しなければならないことが苦痛でした。
新しいところに行くたびにまずトイレの位置を確認して、いつ漏れても大丈夫なように下着の替えとナプキンは常備。
他人に浣腸をされたり、注腸をすることに最初は抵抗がありましたし、こんな自分がみじめで、つらくて、くるしい時期でした。
書いてみるとIBDあるあるな内容なのですが、当時20代前半の私は、このまま働けなかったらどうしよう、このまま結婚できなかったらどうしようと不安を抱えて生活をしていました。
(この頃にTwitterでUC垢を作っていたらどれだけ救われたかなぁと思います。)
ーー転職と結婚
その後自宅療養期間を経て、昔のバイト先である飲食店で働き始め、暫くは寛解を維持していましたが長く務めるうちに店舗責任者にまでなってしまい、激務とストレスで再燃。
ペンタサの増量やアサコールへの変更など試しましたが症状が改善されず、ステロイドを処方してもらうことになりました。
食事制限をしながら誤魔化しつつ働いていましたが、ステロイド依存症になり結局入院をすることに。
入院中はL-CAPと併用しながらステロイドを減少することに成功しました。
この頃私を支えてくれていたのが、今の夫です。
職場が同じで(夫は店長だったので程なくして他店へ異動になりましたが)私が転職する際の面接で病気のことを話していました。
付き合った当初、夫にどの程度潰瘍性大腸炎の理解があったのかは分かりませんが、私が何回トイレに行っても、ただ「いってらっしゃい」と言ってくれました。
私にとってこれが、一番嬉しかったです。
過度な心配をするわけでも、嫌な顔をするわけでもなくただ軽く促してくれることがどれほど心地よかったか。
今までの経験から、ストレスを抱えることが一番良くないと分かっていたので、穏やかで人当たりのいい夫との付き合いは寛解維持にもってこいでした。
喜怒哀楽がはっきりしていて、感情の起伏が激しいような恋愛ばかりしてきましたが、夫との恋愛はひたすらに〝楽"で、ゆったり心穏やかに過ごせたのです。
仕事でのストレスから入院まですることになりましたが、プライベートが安定していたからこそ、その程度で済んだのだと思います。
そしてこの入院がきっかけで仕事を退職。将来を見据えてお付き合いをしていたので、「扶養に入った方が生活費が浮くね」という現実的な理由で結婚することになりました。
正直なところ、「持病持ちの私と結婚することは夫にって負担にならないのか?」「〝普通の人"と結婚する方が夫は幸せになるのではないか?」という自問自答をしたこともありました。
でも誰だっていつかは病気になるかもしれない、身体が不自由になるかもしれない可能性があって、私はそのいつかが早かっただけなんじゃないかと思いました。
そして、病気がある自分は〝普通じゃない"そうじゃない誰かは〝普通"だという線引きを自分がするのはやめようと思いました。
それから「私は私として自分が幸せになりたい、なれる道を進みたい。夫も私が幸せにすればいいんだ!」と悩むのをやめました。
私が持病があるないにかかわらず、幸せだと感じるかどうかは自分次第だなと思うことができたのは、とても恵まれた環境に身を置いていたからだと思います。
結婚の話が進み、夫の両親にも潰瘍性大腸炎のことを説明しましたが、しっかりと私の話に耳を傾け受け入れてくれました。
特に夫のお母さんは図書館で潰瘍性大腸炎についての本を読み、患者向けのレシピ本を私に送ってくれたりと「理解したい」気持ちが伝わってきて嬉しかったです。
そんな人たちの支えと理解があったからこそ、前向きに将来のことを考え、進めたのだと思います。
ーー妊娠
私は潰瘍性大腸炎のほかに〝多嚢胞性卵巣"という病気をもっているのですが、そのせいで自然妊娠は難しいと言われていたので所謂「妊活」をしなければいけませんでした。
最終的に排卵検査薬を使ってタイミングを取って無事に妊娠、となりましたがそこに至るまでの身体のメンテナンスが大変でした。
妊娠したいなと本格的に思いだしたのは結婚して一年が過ぎた頃で当時27歳です。
入院後、自宅療養を経て寛解したのでまたアルバイトとして働きだしたのですが、繁忙期の疲労で潰瘍性大腸炎は再燃していて、便回数が日に10回程度になっていました。
主治医と話し合う時に「そろそろ妊娠も考えている」ことを伝え、症状を落ち着けることが最優先、とレミケードを試すことになりました。
「一度始めると2ヵ月に1回のペースで通院をする必要があるけど、妊娠中でも大丈夫だから」という説明があったのを覚えています。
レミケード導入のために4日間の入院をして、その後は通院で3回目まで試しましたが効果はあまり出ず、ステロイドとL-CAPを併用することで徐々に寛解していきました。
ここまでで約7ヵ月。ステロイドの服用が終わったのがそれから1ヵ月後です。
レミケードは継続していましたが、その他はペンタサと注腸のみでの寛解が目標だったので、これでやっとスタート地点に立てました。
妊活も色々なことがありましたが、それから数か月後、運よくタイミング法で妊娠することが出来ました。
妊娠したことを主治医に報告したときに、潰瘍性大腸炎の妊婦さんは「症状が良くなる人が3割、悪くなる人が3割、変わらない人が4割」と説明を受けていたので妊娠期間中、自分がどうなるか不安でした。
ですが私は、今までで一番といっていいほど寛解しました。何を食べても平気になったので、食に関してはとても幸せな妊婦生活を送ることが出来ました。妊婦独特の諸症状はあれど、好きなものを食べれる幸せは大きかったです。
また、主治医には「妊娠中の薬が胎児に影響を及ぼすことがあるのか」という質問もしました。
そして「レミケードは妊娠30wまでに一度やめる必要があること、また母体がレミケードを打っていた場合、生まれてくる子のロタワクチンは生後半年接種できないとのこと」を教えてもらいました。
息子は11月生まれだったためロタの流行時期とかぶっていましたが、ワクチンを接種させることが出来ませんでした。
レミケードもお腹が膨らむまでは問題なく打てていましたが、最後に打った28wの頃にはお腹が重くてなかなか大変だったことを覚えています。
後期には子宮で腸が圧迫されて便秘にまでなりましたが、それも貴重な体験でした。これは妊婦あるあるですね。笑
こうしてレミケードとペンタサ顆粒とペンタサ注腸で寛解を維持したまま、無事に出産日を迎えることが出来ました。
ーー出産
自然分娩で出産しましたが、陣痛時は、緊張と不安からトイレ回数が近くなっていました。けれど、トイレに行きたくなるだけで便はそんなに出なかった気がします。
ただトイレに行くたびに陣痛がきてうずくまり…ということを繰り返していました。
生々しい話ですが、「人によってはいきむ時に一緒に便がでる」と聞いていたので心配していましたが大丈夫でした。
いや…出ていたのかもしれませんが、助産師さんが何事もなかったかのように処理してくれます。笑
生きるか死ぬかというレベルの痛みなのでなりふり構ってられないですし、もしそこを不安に思っているIBD女性がいるなら気にしないで良いと思います。
ホルモン影響もあると思いますが産後1日目から不安が一気に押し寄せてきたので便回数が増え、自宅に戻るまでは常にトイレを気にしていました。
体調不良になることを見越して総合病院で出産していたので、食事を消化食に変えてもらいましたがせっかくのお祝い膳もとても質素なものになり悲しかったです。
里帰りをしなかったため、自宅に戻ってからも寝不足、不安、ストレスの連続で暫くは体調を崩していましたが、3ヵ月もすると落ち着いてきました。
ですが授乳をしているときの便意だけは本当につらかったです。
息子は夜泣きのプロだったので、夜ぐっすり寝れる日がなかなかありませんでしたが、不思議なことに産後すぐ以外は寛解を維持できていました。
腰痛が酷くなったり、手首が腱鞘炎になったりとボロボロな面もある中で、重かった生理が軽くなったり、潰瘍性大腸炎の症状が落ち着いたりと妊娠出産を経て身体ごと作り替えられたような感じがします。
ーーおわりに
妊娠出産で身体が作り替えられた、と書きましたが、不思議な事に夫と付き合うようになってから多嚢胞性卵巣の症状である生理不順は治っています。
10代の頃は5ヵ月こないということも度々ありましたが、月1回、順調にくるようになりました。
それほど心の安定が身体に影響しているんだなと思いました。
今後の育児に不安がないわけではありません。それでも今は「何とかなる」と前向きに考えることができています。
支えてくれている人がいることを忘れず、頼るべきところは頼りながら頑張っていけたらいいなと思っていますし、そしてこんな私のことを助け、支えてくれる人たちに感謝の気持ちを忘れず、大事にしていきたいと思っています。
今回のこのような機会をいただき、発症から現在までを振り返りることで改めてそう思うことが出来ました。ありがとうございます。
上手くまとまられずにすみません。笑
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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