患者体験談

こんにちは。PIKO@潰瘍性大腸炎です。50代のおばさんです。


確定診断を受けたのは1年8ヶ月前のことでした。わたしの怒りを含めた愚痴だらけの体験談でよければ…さらーっと読み流していってくださいませ。Gコミュニティにはたくさんのお役立ち情報が載っておりますゆえ。

 

では、遠回りしながらも潰瘍性大腸炎が見つかるまでの長ーい道のりを主に書いていきますね。


ーーなんだかずっとお腹が痛かったの巻

 

2017年の春ごろ…左下腹部になにかが触れる。ものすごくお腹が痛くなってうずくまることが増えました。結局それは子宮筋腫で、腹腔鏡手術で全摘したのですが、その時期と重なって血便が出るようになりました。

 

婦人科のドクターは大腸内視鏡を勧めてくれたのですが、オペ後の痛みが強すぎて。まだオペ直後だし、落ち着いてからで良いというので、退院後は様子をみながら普通に仕事に復帰して、なかなかに忙しい毎日を送っていたのです。

 

ちなみに当時の仕事は、和菓子製造補助業務でした。


年末年始の忙しさが途切れることなく、桜もち・草もちに突入して桜の葉の塩漬けの香りが充満した作業場でひたすら桜もちに葉っぱを巻いていました。他にも職人さんが作ったおまんじゅうたちを包装して、各店舗に送るように仕分けしたりと、楽しいけど…もう桜もち嫌いかも…くらいの気持ちで働いていました。


ほんとうに楽しかったなぁ。重たいものを持つことや冷凍庫に身体半分くらい入れたりすることが無かったら、今でも働いていたと思います。


ーー近所の胃腸科クリニックに行くの巻

 

たまにガスとともに下血があったり、腹痛がなかなか治らなかったりしながらも普通に生活出来ていたのですが、2018年の4月初旬に、とうとう思いっきり腹痛・下血・嘔吐がありました。


数日後やっと仕事を休んで近所の胃腸科クリニックに受診したのです。ここで腹部レントゲン撮影と肛門の触診をしたところ『便秘と痔』との診断を受けました。

 

いやいや、下痢してるんだけど?でもレントゲン上は便秘だと言い張る医者。便秘という所見は大腸の浮腫だったのでは?と冷静になった今では思うけど、かなりの体力を消耗し思考力もない状態では、医者からの診断を跳ね返せなかったのです。(恥ずかしながら元看護師です)

 

そして便秘の時に、はじめ便汁が排泄されて、その後カッチカチのブツが出てくるという体験もしたことがあったので…もしかしたら大腸がんかもしれないと考えていたわたしにとって、実はこの便秘という診断を信じたかったのかもしれないと今では思うのです。

 

その時処方されたのが酸化マグネシウム(いわゆる下剤)と整腸剤と胃薬と痔の軟膏という薬たち。変に意固地になっていたので、その薬たちをしっかりと内服し軟膏も塗布します。で、2週間後に当然のように良くなっていない状態で再診するのですが、それでもまるまる同じ薬を処方しましたよ、あの医者(や〇医者ですよ怒)

 

この頃から確実に体調が崩れます。下血によって便器が赤く染まる・ものすごい腹痛・発熱。『やっぱり大腸がんかな。いや他の病気かも?今のクリニック行ってたら死ぬのでは?』と思いました(いや遅いわ自分!) 


ーー少し大きな病院に行ったらようやく潰瘍性大腸炎という病名がついて治療がはじまりましたの巻

 

紹介状をもらいに行く気力も体力も無かったし、胃腸科クリニックに行ったらや◯医者に対して暴言を吐きながら体力が無いなりの大暴れをしそうだったので、自宅の近辺では比較的大きめの病院に直接行ってみました。


すぐに肛門鏡で診てくれて『これは一生付き合う病気かもしれないよ』と。そして大腸内視鏡検査の予約をすぐにするようにとの流れから数日後検査。


忘れもしない2018年6月のこと。明らかな体調の異変を感じて胃腸科クリニックに受診した日から既に2か月も経過していました。『やっぱり潰瘍性大腸炎です。すぐに入院して絶食・点滴しましょう』と。


嵐のような展開ですね。ちなみに全大腸型の中等症でした。上行結腸までカメラ入れられなかったんだけどね。ふぅ。

 

時をもどそう(ぺこぱのマネ)

 

検査の前から38℃台の発熱が続いていたこともあってか、モビプレップを約1リットル飲んだところで吐いてしまいました。まあほとんど食べてなかったから検査は出来たんですけどね。この時以降モビプレップは大の苦手です。

 

大部屋が空いてないから個室に入院。すぐに点滴が始まります。これがね、いつもなら良い血管だとほめられるのに脱水傾向だったので、なかなかルートがとれない。看護師さんに申し訳ないくらいの血管でした。

 

入院初日からペンタサの内服がはじまりました。いよいよ潰瘍性大腸炎の治療開始です。CRP値が2くらいになったら食事開始と言われます。その日のCRP値は7.2。まだまだでした。


主治医は『栄養指導は受けなくても良い。まだ時期が早いし混乱すると思う。栄養士さんは仕事だから厳しめの食事指導をしなくちゃいけないから。潰瘍性大腸炎には厳しい食事制限は必要無いと思う。お肉もサシがたくさん入った高級な肉はあんまり勧めないけど、赤身なら食べても良いよ。お魚中心の食生活にしてファストフード屋さんを避ければ良い』と希望を持てるような持てないような声かけをしてくれていました。


その時はまだまだ下血・腹痛がひどかったこともあり『わたしは一生マク〇ナルドでハンバーガーやポテトを食べられない身体になってしまったのだ』と思っていました。今考えると、主治医はすごく良いことを言ってくれていたのだなぁ。感謝。

 

ペンタサ開始後も1日の便回数は10回前後で、食事開始してからも下血は続きます。そうそう!絶食明けの重湯ってびっくりするほど美味しいですよ。味覚が鋭敏になるからかな?

 

ステロイドの使用を躊躇っていた主治医もようやく決心した様子でプレドニンの使用に踏み切ります。そのあたりの記憶があいまいなのでいつからか全く覚えていません。たぶん大部屋に移動した時期なので、入院してから一週間後くらいだったと思います。


ただ、この病院から間もなく転院することになったのです。


ーーそして今の病院へ転院したら本格的な治療が始まったの巻

 

病気を見つけてくれた主治医でしたが治療の限界を感じたのか転院を勧めてきます。主治医には悪いことしたなぁと思うけど、勧めてくれた病院は2つとも拒否しました。


病名はわかったけど治療してもまったく良くならないことに焦りと怒りを感じていたのです。難病と診断されたことに対して少なからずショックを受けていたことに加えて、なかなか下血も腹痛も治まらず、またもや絶食・点滴治療を再開すると言われたばかりだったので。不満爆発です。

 

消化器とは関係ないかもしれませんが、腹部(子宮筋腫)のオペをして、カルテも残ってる、入院時の病室の雰囲気がとても良かった病院への転院を希望しました。


繋がりの無い病院に紹介するのを躊躇いつつも、すぐに転院の手続きをしてくれました。ありがとう主治医!

(確定診断を受けてから20日後の出来事です)

 

その時点でもう朝の9時ごろ、転院先の病院には11時までに到着して入院手続きをしなければなりません。荷物をまとめて退院手続きをしてタクシーで転院先の病院へ急いで向かいます。ゴッソリ体力を奪われていたためか受付で倒れ込み車椅子で入院。


ほんとうに潰瘍性大腸炎なのか?確認のための検査が行われます。採血もたくさん両腕からとられます。この際だから徹底的にやってほしいと思いました。何かあっても病院にいるんだし…大きい病院への安心感があります。

 

そして新たな主治医との出会い。きれいな女医さんです。決断が早くて大好きでした。潰瘍性大腸炎であることは確定したので本格的な治療が始まります。


● ステロイドパルス療法

● メサラジン4000mg


治療の目標も提示されます

1. 腹痛が無くなること

2. 血便が無くなること

3. 大腸内視鏡所見の改善

4. 便回数が5回以下になること

 

ステロイドの効果もあり転院3日目から食事開始されますが、徐々に腹痛も下血も落ち着いてきます。普通便が出るようになってきました。普通のありがたみを感じます。退院に向けてメサラジンをリアルダにしたり、ステロイドの減量をしたりします。


リアルダのキャラクターがホワイトシェパードドッグで可愛いんですよね。「いつだって、すぐに駆けつけるから。ずっとそばにいるから、もう大丈夫だよ。」と言ってくれています。病室で少し涙しました。実際にシェパードが来てくれた方がうれしいけど、薬が効いてくれると良いなぁという気持ちで。

 

確定診断からちょうど1か月後に退院しました。

 

ーーステロイドがきれたらすぐ増悪して救急車で入院したの巻

 

退院してからはいろんな事務的なことで忙しいのと、今後も入院費がこんなにかかるなら早く仕事しなくちゃ!医療費を稼がなければ!と、ものすごく焦りがありました。歩くのもままならない状態から回復するのに4か月かかりました。


その間に派遣で事務作業のお仕事を探し、採用してくださるところがあり勤務開始したのですが、すぐ救急車で入院することになります。救急車の中から職場に電話したのはあれがはじめてです。プレドニンを完全に切ってからの急性増悪でした。プレドニン依存というやつですね。


救急室でドクターに《どんな便だったのか?痛みはどの程度なのか?生ものは食べなかったか?》しつこいくらい同じことを何度も聞かれます。痛いしだんだんイライラしてきます。『だから血性の泥状便で、それ自体が全部真っ赤なんですよ!!!』(いやこれ質問されるの何度目なんだよ!しっかり聞いてろよ!医者のくせに馬〇なの?!排便記録の紙も渡したよね!怒 と思ってました)

 

造影CTを撮影しますが、造影剤が漏れて腕パンパンに腫れて激痛です。まわりのスタッフの方々からものすごく謝られるのですが、仕方がないので病棟で冷やしてもらうことになりました。


CTはしっかり撮れていたのだそう。あんなに漏れてたのに?ならそんなに造影剤要らないのでは?というのは心の声です。プレドニンの効果が完全に切れたことと、仕事を開始したことから来るストレスが今回の増悪の原因だと思いました。


ああわたしはいつになったら仕事ができるようになるんだろう?と絶望感に襲われます。

 

ーーGCAPとアザチオプリンが効いたのかもしれないの巻

 

結局またプレドニンの内服が開始されました。5日間の入院で程々の腹痛になってきたので退院します。


そして新たに登場する治療法がGCAPです!ちょっとした透析気分ですよ。でも、ほんとうの透析患者さんは週3〜4回1回につき4時間という大変な治療です。自分のは順調にいけば1時間で終わります。はじめの準備とか、終わってからの止血があるのでトータル3時間は軽くかかりましたけどね。


アダカラムという物体(フィルターではなくビーズが入っています)に血液を通して暴走する顆粒球を吸着して悪さ出来ないように更生させ、体内に戻す。という治療です(ざっくりしすぎなので興味のある方は是非ともご自分で調べてみてください)

 

通院中の病院ではGCAPをやっていなかったので、透析専門のクリニックに通います。午前中に消化器内科の診察をしてから移動してGCAPのクリニックという流れを1週間ごとに合計10回繰り返しました。

 

その流れの中で、増悪の原因が全くわからない緊急入院がありました。食事には特に気をつけていたし、睡眠もきちんととっていたし・・・で増悪の原因が全くわかりません。GCAP4回目当日、ちょうど節分のころのことです。


目に見える客観的データとしては肝機能の値が上昇していたことくらい。入院で延期になっていた4回目のGCAP前後で採血して確認してくれましたが、変化はなかったのでGCAPは増悪の犯人から外されました。プレドニンの減量中だったので、それがひとつの要因だったのかもしれません。


GCAPの治療中、アザニン(免疫調整剤)の内服もはじまりました。

 

そんな中、主治医の異動を告げられます。えー!わたしも一緒に転院する!と駄々をこねてみましたが、やんわりとIBDの研究をするので外来は診ないからと断られました。そうですか(しょんぼり)

 

次の主治医は優しそうな男のドクターです。


便中カルプロテクチンの値をそろそろみる時期だと言われていたので、はじめましての診察の時に聞いてみたのですが、検査自体が新しいものだからデータも集まっていないし僕はあまり重視していない、と言われます。

 

うーむ…大腸内視鏡検査時の痛みが酷すぎて、鎮静剤をしっかりと使わないと検査にならないという経過を鑑みた前の主治医が『ある程度炎症の状態を把握できる検査だから』と勧めてくれていたので、この主治医…優しげに見えて意外と頑固そうだ…という悪い意味での印象を持ちます。


ただ、この頃になると腹痛は時々あるものの下血はまったく見なくなっていたので『GCAPの効果が有ったんですね。(にっこり)』といううれしい言葉もいただきました。


そして、アザニンの効果は血液検査データの中ではMCV値をみていくことを教わります。この値が高くなってくると、アザニンの量を増やすとか細かな調整が必要なのです。つくづく繊細な治療だなぁと思います。


ーーそしてレミケードがはじまりましたの巻

 

大腸の炎症がおさまってきた時期に、全身の関節痛が目立つようになってきます。整形外科にも受診しますが、関節炎というよりもそれに付随した腱とか筋肉やらの問題だと言われます。その時に膠原病科の受診を勧められました。グッジョブ整形外科医。

 

膠原病科では今までの経過を1時間も語るという、ものすごく丁寧な問診がなされました。診察室に入る姿もすごくよく観察されています。自分で思ってる以上に手指の関節に腫脹があることもわかりました。

 

それからすぐに腰痛に襲われます。杖が無いと歩けません。いろいろ検査をしますが、強直性脊椎炎というのとはちょっと違うし、でも症状が強く出ているので…と悩むドクター。

 

カロナール・ボルタレンなどの鎮痛剤の組み合わせを考えながら処方してくれます。自分でも調整して良いと任せてくれました。ここまでなら使って大丈夫というラインをしっかり提示されたので調整しながら服用します。

 

そうして腰痛は、しばらく経つと治りました。が、これで終わりではありません。まだまだ全身の関節痛が続いています。むしろ今後まったく痛くない状態になることは無いということです。

 

わたしは関節リウマチでは無いけれどメトトレキサートの内服がはじまりました。直接の鎮痛効果は無いけれど炎症を抑える意味で重要なお薬です。

 

膠原病科のドクターは、早いうちから抗TNFα製剤(生物学的製剤)の使用を考えていたようで、今回(2020/2現在)潰瘍性大腸炎に関連した関節痛に対してということで、レミケードが開始されました。それにともないアザニンの内服を中止します。免疫機能が低下しすぎるのを避けるためという説明です。

 

肺炎とか怖いな~と思いました。今まさに新型コロナウイルス肺炎が、日本中に蔓延しそうになってるところで…。


院外薬局の薬剤師さんに『え?この時期にレミケードですか?』と真剣に心配されるという。まあどんだけ注意してても罹るときは罹るものだし手洗いこまめにやるしかないよね~ウイルス持ってる人がマスクしてなければ飛沫とびまくるだろうし出来るだけマスクをしたりして、自分の身は自分で守るしかないかなという感想です。


今マスクも手ピカジェルも消毒用アルコールもほとんどのドラッグストアでは売ってないけど。ドクター側もレミケードを使う事によって起こる肺炎に関しては、ST合剤といういわゆる抗菌剤の処方という対策を講じてくれています。そこに関しては安心しています。 


ーー増悪の原因の把握がまだまだできてないし体力ないからまだ働くの無理だけどあきらめてないからの巻

 

IBDというくくりにはなっているけれど潰瘍性大腸炎とクローン病とでは細かな病気の成り立ちも食事に対する考え方も違うし、同じ病気でも人によって治療方法や経過も違うし、食べられる食材や料理もまったく違うし、医師・看護師・栄養士それぞれほんとうに言うことが違うし迷うことばかりの毎日(ホントのほんとうに個人差が大きい複雑系の病気だとあらためて認識します)だけど、ちょっとおもしろくなってきた!と自分では思っています。

 

これからどれくらい人生があるのかはわかりようもないけれど、昔から培ってきたあきらめの悪さを今こそ存分に発揮してやろう!と考えているところです。

 

病気がわかって間もないIBDの仲間たちや、そのご家族の皆様方にとってはわからないことばかりで不安ばかりが大きい時期が続くかもしれません。

 

こんなときどうしたらいいんだろう?と思ったらぜひここに来て記事を読んでみてください。きっとヒントがあるはずです。直接質問も出来ます。ぐちを言える部屋もあります。ときどきチャットもやっています。いろいろな知恵が工夫があります。

 

でもでもほんとうに重要なことは、必ず主治医に質問したり相談したりしていきましょうね!おたがいに。

 

みんな違うけどみんな一緒にがんばっていきましょう。

 

最後まで読んでくださいまして誠にありがとうございました。では。

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