患者体験談

昨年12月のIBDエキスポでもご登壇頂いた愛知県在住の潰瘍性大腸炎患者Souさんのインタビュー内容を前編・後編に分けてお送りします。今回は病気を発症してから大学生活/就活までの内容です。表紙の絵はSouさんがご自身で描かれたものです。


――潰瘍性大腸炎の発症はいつごろでしたか?


高校1年生の春に発症しました。最初はお腹の調子が悪いのが続いていた程度だったのですが、ある時血便が出てきて、症状を我慢できなくなり、母親が気づいてクリニックに行きました。そのクリニックでは「詳しいことはわからないから専門的な病院に行ったほうが良い」と言われ、病院で内視鏡を行い、確定診断となりました。中学の時はサッカー部でしたが特別お腹が弱いといったことはなかったので突然の出来事でした。

 

診断を受けた時は初めて聞いた病名だったこともあり、あまり実感はありませんでした。そうゆう病気になっちゃったと思ったくらいでふわふわした感じでした。基本的に病気は終わるイメージがあるので、いつかよくなるのではないかくらいの気持ちでいました。

 

――どのような高校生活を過ごされたのですか?


病気のことは担任の先生には伝えていたものの友人には話していなかったので、体調が悪い時も良い時と同じように我慢して振舞っていました。周りからはお腹が弱い人くらいに思われていたかもしれません。多分当時クラスメートに病気の話をしたとしてもどう配慮して良いかもわからなかったと思います。

 

また、月に1回病院に行く必要があったのですが、病院は土日に外来を行なっていなかったので平日早退して病院に通いました。一人だけ定期的に早退するので少し心苦しく感じることや、みんなと一緒にいる時間が短くなったので悲しい時もありました。

 

部活は軽音楽部に在籍していました。スポーツ系だと病気との両立が大変だったと思いますが、音楽の場合練習でも区切りが多く、その際にトイレに行けるので、病気との両立に問題はありませんでした。

 

受験に関しては、特に病気を気にせずに無我夢中で勉強に取り組んでいた記憶があります。自分の場合、緊張感がある時は症状が一時的に治ることもあり、病気の影響を受けずに乗り切れたと思います。

 

――大学での生活はいかがでしたか?


大学では経済学部に入学しました。文系の大学で入学した当時やりたいことは見つかっていなかったので新しいことにチャレンジしようと思っていました。

 

一年生の時は映画が好きだったので演劇部に入って活動していましたが、部の力が弱く廃部となってしまいました。やることがなくなったので好きなことをやろうと思いバイクの免許を取ったり、プレゼンテーションの大会にチームを作って応募したりしていました。

 



――就職活動はどのような形で始められたのですか?


就職は大学の早い段階から意識していて、大学にある就活ゼミに3年の冬に入りました。このゼミは、いわゆる”意識高い系”の学生が入るゼミで、愛知県から東京の大企業への就職を目指している人が多かったです。

 

私自身、東京で大企業に就職しバリバリ働くということに漠然と憧れもありましたし、早く就活を開始することで業種や業界に触れれば何かしらやりたいことが見つかるだろうと思っていました。

 

ゼミでは、大企業に就職している卒業生と会ったり、座談会に入ったり、リクルートなど東京の大企業を見学して話を聞くツアーなんかもありました。

 

3年の夏に、症状が治らず1ヶ月程入院していたこともあり、周囲の人から遅れているという焦りもありました。

 

そこで、企業説明会には100社以上参加しましたし、インターンもたくさん経験しました。大企業に就職している卒業生と会ったり、座談会に参加したり、東京の大企業を見学するツアーなどもありました。

 

自分の中でも数当たることが目的みたいになってしまっていて、それが就活なんだと思っていたこともありました。ですが、その後、壁に当たります。

 

――どのようなことに悩まれたのですか?


ふと、「なぜ東京に行って就職する必要があるのだろう?」と思うようになりました。実際に何回も東京に行くようになって、違和感を感じるようにもなりました。周りが良いと考えている方向に流されているような気がしました。

 

そのような感情を持ったのが1-2月頃で、ちょうど就職活動で追い込みをかけなきゃいけない時期と重なり、悩みがストレスとなりました。本当に辛い時期で、症状も悪化し、体力・気力もなくなりました。今振り返ると、大学生ということもあり、土日もなく朝から晩まで就職活動に時間を割いていたので、キャパシティを完全に超えていたんだと思います。

 

そして就職活動を一度止めて休むことにしました。

 

――休まれている間はどのような時間を過ごされていたのですか?


3月末から1-2ヶ月休みました。喫茶店に行ったり、公園に行ったりしてのんびり過ごしていました。

 

その中で改めて就職活動の方向性についても考えました。東京で生活するのが本当に幸せなのだろうか?むしろ、自分に大切なひとが近くにいて伸び伸び働けた方がより幸せになるのではないか?と思うようになりました。徐々にプライドを捨てて、周りに流されるのではなく、自分自身に素直になれるようになりました。

 

――その後の就職活動はどのように進められたのですか?


ゆっくり休んだことで体力と気力が戻り、5-6月あたりから就職活動を再開しました。ちょっとずつできることからやっていこうと思いました。

 

業界としても安定していて、生活になくてはならないものを届けられるインフラ領域に興味を持ち名古屋で働けるインフラに関わる会社に応募し、8月頃に内定を頂きました。

 

いくつかの企業が選択肢となりましたが、現在働いているガス関連の会社に就職することを決めました。その企業の社長がとても印象的だったことが決め手です。面接では一般的に「この人は会社の戦力になるかな?」という視点で質問を受けることが多いのですが、この社長は一切そのようなことを話さずに家族や親のことをすごく気にかけてくれたので、この人の元で働きたいなと思い就職を決めました。

 

――病気の開示はどのようなタイミングで行いましたか?


就活の間は病気のことには触れずに、内定をもらった後に開示しました。それで内定を取り消されるような会社ならそれまでかなとも思っていました。

 

また、私のような難病を抱えている人にかかわらず、それぞれの人がいろいろなことを抱えられて生きているので、客観的に見てみると、自分は別に特別な人間ではないなと思っていたこともあります。


 

(後編に続く)

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