患者体験談

クローン病を発症して 9 年目になります。
この度、Twitter でGコミュニティ様をご紹介頂き 自分の体験談を書かせてもらえる事になりました。
この場を与えてくださった皆様に心から感謝したいと思います。
私は息子が三才になる2012年秋、クローン病を発症しました。
出産後、保育士として働き始めて二年ほど経った頃です。
体調に変化が現れはじめたのは、2012年 6 月頃から。
時々おへその周りが痛むことがありました。
普段の排便回数は、一日一回程度。便秘もなく普通でしたが 食後は必ずトイレへ行くようになりました。
子供たちとプール遊びをした後などは、トイレに行く回数が増えて腹痛と下痢になったり することがありましたが「お腹が冷えたんだろうな…」と気にしませんでした。
かかりつけのクリニックへ行き胃腸薬をもらっていました。
季節が過ぎ、運動会の準備に追われる日々。
「先生痩せたね~。」と言われ、体重を計ると3㎏減っていました。
「まあいいや、ラッキー」と思うだけでした。
腹痛と下痢を気にしながらも行事ごとに追われ、育児に追われ、気づけば 10 月も終わりに なった頃、トイレの回数が増えてお腹の痛みはだんだん強くなり、夕方に微熱を出すように。
「何か変だな…」と思い始めました。
仕事から帰宅してもぐったりして、息子の相手もできなくなりました。
夫や家族も「最近なんか瘦せすぎてない…⁈」と心配し始め、47 キロあった体重は 42 キロ まで減っていました。
痛み方がだんだんと差し込むような痛みになり、耐え難くなっていきましたが、怖くて病院に行くのをためらってしまいました。
口の中に沢山の口内炎ができ始め、ご飯が食べられなくなり、熱で体はだるくて食後に耐 え難い波のような痛みと下痢に襲われ、腹痛に襲われると疲労で立てなくなるようになっ ていきました。
「ママ、大丈夫⁇…」と息子が心配してくれますが、痛みで返す余裕もなく 「ごめん…あっちに行ってて。」と返すのが精いっぱいでした。
私は経験したことがない痛みに、怖くて怖くて身動きが取れずにいました。
恐怖で頭が混乱し、周りに相談もせず、一人で考えこんでいました。
クリニックに何度も通い、胃腸炎と言われ胃腸薬をもらいますが一向に体調は変わらず、夜なると胃から下は燃えるような痛みが襲ってきました。
今思えば、家族に早く症状を言う事が出来たはずですが 「心配かけたくない」「子供が」など理由をつけては逃げていました。
腹痛に襲われることが怖く食事も少ししか食べられなくなり、トイレは一日20回程に増 えていました。
同時に食欲も無くなっていきました。
ある日何気なく腕の皮膚をつまんだ時、つまんだ形のまま皮膚が戻らなくなったことがあ りました。
今思えば酷い脱水症状だったと思います。
2012年11月の三連休。
脱水と腹痛で疲労困憊し、動けなくなっていました。
母と同居していたのですが、母に「それはおかしいから、病院に行こう!」と促され 抱えられるようにしてやっと大きな病院へ行きました。
血液検査をして即入院、点滴でしたが先ずはウイルス検査をしました。
病室のベットの上で、ネットで自分の症状を調べようと思い「腹痛、微熱、口内炎、体重減 少、下痢症状…」と入力すると「潰瘍性大腸炎、クローン病、難病」とヒットしました。
「難病…って?」と思いながらも、今までの自分の症状と酷似していたので、体の血の気が 引いて行ったのを覚えています。
胃カメラと大腸内視鏡をすることになり、 初めて絶食をし、内視鏡はあまりの痛さで進まず 何度も鎮静剤をかけてもらい、途中からの記憶はありませんでした。
次の日に先生から説明を受けました。
「縦走潰瘍と敷石像が見られます、クローン病で間違いないと思います。」 と教えてもらいました。
「やっぱり…。」と同時に少し安心しました。
「正体不明のお腹の痛み」それがずっと怖かったからです。
国指定の難病であることや、難病指定医のいる病院への転院と診断書を持って 保健所に申請をしないといけないことなどを教えてもらい、すぐに転院しました。
消化器の専門の先生の診察を受けたとき、先生から言われた言葉は 一生忘れることはないと思います。
それは 「長い間我慢したんですね…痛かったですね。この科にはクローン病他にも潰瘍性大腸炎 の患者さんが沢山通院されています。
薬もありますからね。」と言ってくださった事です。
「そうなんだ…私だけじゃないんだ…」とへなへなと全身の力が抜けて涙が出ました。
これから飲んでいく薬(5ASA 製剤)や免疫抑制剤の点滴(レミケード)などの治療方法 があることなどの説明を受けましたが、沢山聞きすぎて正直、頭はパニックでした。
2012年11月指定医からクローン病と診断されました。
お腹が痛いだけだと思っていた時から半年でした。
これからの事をどうしよう、主人や義理の家族、職場、親戚、沢山の人に迷惑をかけてし まうと色々とまた一人で思いつめてしまい、夫に「病気になってしまって迷惑しかかけられ ないから、離婚してください。」と言った事があります。
ですが夫は「クローン病でもなんでも俺は結婚してたで。」 と言ってくれました。
別れようと思っていたので、驚きと感謝の涙が止まりませんでした。勝手に一人で抱えようとしている自分に気が付きました。
何でも自分でやらなければダメだ、と私は勝手な責任感で周りに頼ると言う事を それまであまりしてこなかったように思います。
これからは何でも一人で抱えようとせず、 ちゃんと話そう。
どんなことでも、と夫婦で話をする機会にもなりました。
入院の用意をしている私を息子は不思議そうに見ていました。
「お母さん、お腹治しに病院に入院しなあかん。帰ってくるまで、お父さんとお祖母ちゃん と、待っててね。」と胸が張り裂けそうになりながら入院しました。
職場には難病であることや、治療にどれくらい時間がかかるか見通しが立っていないこ とを伝え、退職しました。
年度途中で辞める事は本当にくやしかったです。
小腸造影検査をし、狭窄を診る検査をし、CRP が低くなるまで 絶食し、エレンタールを飲み始めましたが独特の匂いと味で飲み切るのが大変でした。
味付けのフレーバーを色々試しながら何とか飲んでいました。
冷たいと腹痛と下痢になるので常温で飲んでいました。
白血球と CRP が下がったのでレミケードの点滴をすると、あんなに痛かったお腹が痛く なくなりました。
腹痛が無い事がこんなに楽だったのか、と驚きました。
数値が落ち着いたので退院することになり、クローン病の食事管理について栄養士の方 から食べられるものや調子が悪くなりやすいものを一覧表で教えてもらいましたが、
米、豆腐、うどん、食パン…白いものばかりだな~。という印象でした。
病気や食事、治療について勉強しようと本を買って家族で読むようになり、 エレンタールと脂質の低い食事を意識して摂って療養しましたが、家族の食べているもの を見て泣いたりと心が追い付いていない日々でした。
病気を受け入れようと日々を過ごしますが、栄養剤を飲まないと、という焦りや 体調の変化に一喜一憂し、不安から薬が飲み込めずに泣きながら飲む日もありました。
元気いっぱいの息子の相手もできずそんな自分に嫌気がさしてしまい、体調は向上せず 一か月後には腹痛が酷く入院しました。
主治医が「造影 CТや小腸造影を見ると小腸の狭窄を取る外科手術をしたほうがいい。」 と言われ「楽になるならします」と手術の方向になりました。
CV(中心動脈栄養カテーテル留置)と腎臓から膀胱までにある尿管とその近くにある大 動脈を手術中に見分ける為に「尿管ステント留置術」をするとのことで CV留置を終え、泌 尿器科で尿管ステントを入れに行きましたが、本当に痛かったです。
母が「廊下中にギャーって響き渡っていたよ…(笑)」と笑っていましたが あれは二度と味わいたくありません。(笑)
手術前の説明で「人工肛門になる可能性は低いと思います。がゼロではないです。」と言 われていましたが、自分は大丈夫だろうと勝手に安心していました。 手術は10時間かかり目が覚めると術後回復室に向かう途中でした。
「お腹の中が凄いことになってたんだよ。でも無事に終わったからね。」という言葉をぼ んやりしながら聞いたのを覚えています。
回復室では自分の置かれた立場が理解できるまでとても時間がかかりました。 夫が横で眠っているのも気付きませんでした。
次の日、主治医が来てくれてとても悲しそうな何とも説明できないような表情だったの で私は不思議に思いましたが「手術ありがとうございました。」と声を掛けました。
「ますみんさん、人工肛門になったんです。」と言われ「?」となりました。
術中に狭窄の酷い小腸を切除、癒着の状態が酷く、直腸と癒着した小腸を剥がす時に直腸 が傷ついてしまったため直腸修復の間、仮ストーマになりました。
「小腸も大腸も傷ついて修復した跡がたくさんあり、狭窄は 10 か所。一番ひどい狭窄は 幅がとても狭く、狭窄を全部取ると短腸症候群になってしまう可能性があり、一番酷い部分 だけを切除しました。」とのことでした。
「そんなに酷かったんだ…。」と色々悔やまれましたが、言っても現実は変わらないので 流れに身を任せるしかないと思いました。
術後は癒着防止のため早期離床で、1日目は洗面所まで(5m位)2 日目は廊下の外側ま で(10m位)動く練習をしました。が、CV、イレウス管、硬膜下麻酔、ドレーン、尿管…管 が凄いことになっていたので動きにくいのはもちろん、周りの人の目もとても気になりま した。
ストーマは直視できるようになるまでかなりの時間がかかりました。
清拭の時にちらっと見るのですが、お腹から腸が出ていると思うと怖かったのと、受け入れ たくないという複雑な感情がありました。
少しずつ管が取れていきましたが、便通が 3 日経ってもなく先生や看護師さんが替わる 変わる見に来てくれました。
術後の内臓のむくみが取れるまでしょうがないか… と思っていました。
イレウス管は抜け、水分の許可が下りたので水を飲んでいたのですが、 「何か胃がむかむかするな…」と思いながら飲んでいました。
すると 急にドアがバーンと開いて主治医と看護師さんが管をもって走ってきました。
「…?」と思っていましたが「イレウス管入れるね!」と言われ、なすがままになっていた のですが、イレウス管が入ってきたと同時に私は膵液を吐いたのです。
「ごめんね!レントゲンを見て走ってきたんだけど…!」 私はどうやら内臓の動きが悪く、イレウスになっていたようです…
入院期間中にクローン病と潰瘍性大腸炎の友達ができました。
学生の頃から 病気を抱えながら、進学したり働いたりしているよと教えてもらったり、 これは食べられるよ、これは控えている。など情報交換しながら過ごせるのが心の支えにな っていました。
息子は祖母と毎日お見舞いに来てくれました。
一緒に過ごす時間が親として十分に取れない事に常に後ろめたい気持ちがありましたが、 お見舞いに来てくれた時間だけでも大切にしたいと思って、点滴を下げながら息子をおん ぶして院内を歩き回ったり、売店で買い物をする時間が大切な時間でした。
入院中に誕生日を迎えた私におままごとのケーキとナイフを家から持ってきて 「誕生日おめでとう!」とお祝いしてくれた時は、涙が止まりませんでした。
家族のためにも早く日常生活に戻れるように頑張ろう、そう思いました。
食事は3分粥が食べれるようになり、1か月ぶりくらいに食べた重湯の味は一生忘れるこ とがないと思います。
ストーマになり食事の事はもちろん、日々のケアの仕方を知ったり、自分に合った装具を探 したりやることは沢山増えましたが、それと共にたくさんの人と関われるようになりまし た。
消化器外科の先生、看護師さん、リハビリの先生、薬剤師さん、売店のおばさん、同じ病 気の友達、相部屋で息子と話をしてくれるおばあちゃん。そこでしか出会えなかった方々に 出会えた事は私の財産です。
ストーマを増設してから5年の間に何度も入院、手術をしましたが、悔し泣きながら入院 する私の背中をぽんぽんとさすってくれた医療従事者の方々には感謝してもしきれません。
最近の手術はストーマの下、上行結腸に膿瘍ができ、閉塞をおこしかけたのでストーマも 閉鎖しましょうと仮ストマを閉鎖しました。直腸が慣れるまで時間はかかりましたが、 何とか今家事と子育て、犬の世話をしながら過ごしています。
息子は今小学校6年生になり、家事も手伝えるようになりました。
低学年のうちは目が離せず、長期休みの時は暑さもあり疲れが溜まって体調を崩したので、 実家と相談しながらゆっくり過ごす時間を作るようになりました。
今も自分の体調と相談しながら疲れる前に休む、家族の夕飯がお惣菜でも気にしない(笑)
睡眠時間をしっかり確保するなどを意識しながら過ごしています。
この病気を通して知った事は、世の中が沢山の方々によって支えられている事、 誰しも人間は完璧ではなく、弱い部分があって当たり前な事、弱い部分を見せられる誰か がいることが幸せだという事です。
何もないときはすぐに忘れてしまう一番大事なこと。
それは生きているのは当たり前じゃない、誰かが誰かを支えていて今自分が今生きてい るという事です。
これから先も何があるか分かりません、だけど言えるのは、大変な事を一人で全部抱えよ うとする前に、悩みすぎる前に誰かに頼ってみることです。
こんなことができないの?なんて思いません。頼ってくれて嬉しいなって私なら思いま す。
今私がこの文章を書けているのは Twitter で知り合えた方々のおかげです。
私はこんなことを思っていますが、どうしたらいいですか?と勇気を出して聞けたからで す。
SNS を始めてまた世界が広がりました。1歩ずつ1歩ずつ焦らず今自分の出来ることをこ れからも探し続けていきたいと思いますし、いつか誰かの役に立てるように今ある自分を 大切にしていきたいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。