患者体験談

今回はmoritoumiさんの体験談です。UC発症後さまざまなことを経験されていますが前向きな姿が印象的です。また働くことについても参考になる部分も多いのではと思います。ぜひご一読ください。


ジーケアスタッフ



UC歴18年のmoritoumi7と申します。名前の由来は里山の森と瀬戸内海の海がある島の生活から森と海をローマ字にしています。フェスブックやツイッター(森と泉 @morii_izumi)もやっておりまして、アメプロ(森と海)で趣味人倶楽部(森と泉)、情報収集と情報発信もしています。

 

趣味は、空・海・花・山などを見たり撮影すること。農業・DIY・宅建士などの資格取得・オカリナ演奏・カラオケ(お休み中)。

 

好きな食べ物は、麺類・豆腐・バナナ・ヨーグルト・ミルミル・フルーツゼリーなど。

好きな作家は、五木寛之・新田次郎・司馬遼太郎など歴史・山などの本。

好きな音楽は、70年代~80年代のフォークソング・グループサウンド・倍賞千恵子・中島みゆき・ユーミンの歌など。現在は放送大学での学習。

 

嫌いなことは、差別といじめ です。

 

これまでの治療経緯


これまで3回入院しました。1回目目の入院は、ペンタサとIVHで腸を休めてステロイドで寛解、2回目は入院はペンタサとGCAPを5回と通院5回で寛解、3回目の入院は、ペンタサ注腸とペンタサで寛解しました。現在難治性UCで再燃中です。

 

一番初めに下血が出た時は肛門科に受診し、痔の治療を半年ほど行いました。その後に激しい下血で総合病院に受診。大腸内視鏡検査の結果で潰瘍性大腸炎の確定診断となりました。

 

薬剤については、ペンタサ→アサコール→リアルダに変更してきました。骨髄炎治療のために2021年6月からにイムランは中止しています。新薬に興味があります。またビオフェルミンは、ミヤBM+ポリフル顆粒に変更しました。

 

潰瘍性大腸炎の確定診断までの混乱

 

2002年1月頃から少量の下血があったので、肛門科のクリニックに受診し、痔の座薬を処方されました。クリニックから念のために少し大きな病院を紹介されました。


紹介された病院では、肛門だけの内視鏡で診察した結果も痔の診断で、座薬による痔の治療を続けました。2004年4月頃町の病院で、初めて大腸内視鏡検査を受けました。内科の医師は潰瘍性大腸炎専門医ではありませんでした。検査時に1回目ブスコパンの注射では大腸の動きが止まりませんでした。そして2回目の注射を打ちました。内視鏡検査時間は約1時間かかったと思います。

 

大腸組織何カ所か取ってから後日の病理診断で潰瘍性大腸炎と説明がありました。その後消化器内科で炎症性疾患の専門医のいる大きな総合病院を紹介され、その病院で再度大腸内視鏡検査をし、確定診断となりました。

 

UC 1回目の入院


2004年8月に激しい下血のために、消化器内科のある大きな総合病院に1回目の入院をしました。そのときは潰瘍性大腸炎の治療は、本やネットで調べても難病と書いているもので、落ち込みました。

 

また、難病医療制度(特定疾患医療)は入院中に申請しました。認定になるまで、医療費の負担の心配がありました。

 

8月6日からIVH(中心静脈栄養)をする準備中に、母が死亡したと連絡があり、1泊2日の外泊許可を取って通夜と葬儀を行いました。


もしIVHの点滴をしていたら、母の葬儀に出られなかったことです。そのときは、悲しみと同時に、体調維持が大変な状況でした。病気になって入院することは、家族の死に目にも会えないなど大変です。

 

また1回目の入院の時は、看護学生が実習のために1週間ついてくれました。バイタルチェックなどと病気のことなど話を聴いたりして、すごく気晴らしになりました。

 

UC 2回目の入院


2006年にUCが再燃して入院しました。UCの治療は、GCAP(顆粒球吸着療法)を入院に5回、通院で5回を実施して寛解導入しました。大きな針を両手に刺して約1時間寝たきりの状態の治療は、辛かったです。

 

UC 3回目の入院


2007年に激しい下痢と下血で、UCが再燃して、3回目の入院をしました。ペンタサ注腸を初めて入院中にしました。


注腸は、ぬるめの湯につけて、お尻から注入し右横・仰向け・左横など体位を教えてもらいましたが、できるだけ排便を我慢するということが辛かったです。

 

UC以外の入院経験


UC以外でも入院経験がありますのでシェアさせていただきます。

 

1 バイク事故で入院


2004年11月にバイクの自損事故で、左上腕骨脱臼骨折と頭部外傷でUCの同じ病院に救急入院しました。入院してしばらくの間は、寝たきりのため、ベッド上での排泄行為は、看護師に世話をしていただくのが精神的に恥ずかしくて辛かったです。


この入院は、整形外科の実習のため看護学生が、1週間バイタルチェックや簡単な室内でできるリハビリの指導をしていただきました。看護学生は、話し相手になってくれて、落ち込んだ時だったので、本当に心身とも癒やされました。


2006年9月にバイク事故で手術した左上腕骨は、骨頭壊死症になって左上腕骨人工関節置換術の手術を行いました。リハビリの目標は、車の運転ができること。左手の可動域は60度で、いまだに万歳はできません。身体障害者手帳4級所持しています。人工関節を支えている骨の方が転倒で骨折したら、大きな手術になるとの理由で、整形外科の先生と家族からバイクの運転を止められました。

 

2 墜落事故で入院


2020年11月に、ペンキ塗装の作業中に足を踏み外した墜落事故で1メートルの高さからコンクリート床に着地した衝撃で。右足踵骨骨折して入院しました。


骨折部位を3本のステンレスの棒で、破損した踵骨の大きな骨を保持し自然にくっつく治療をしました。年末年始は入院生活しました。1月に抜釘して松葉杖で退院後は、1か月に一度整形外科に受診しました。


2021年6月の通院の時に整形外科の先生が、ステンレスの棒を抜いた場所の穴から絆創膏を剥いだら、膿の長さが約1㎝の膿が出ました。外来でMRIや採血検査の結果、骨髄炎になっているので、その日に緊急入院しました。運良く入院した翌日に手術すると説明がありました。


手術は骨髄炎の場所をドリルで穴を開けてデブリを清掃し、抗生剤を24時間2週間傷口の中を抗生剤の液を循環する治療をしました。松葉杖で退院して、まだ抗生剤を服用しています。抗生剤の影響か、下痢が毎日10回くらいあります。整形外科での入院生活は、病院では新型コロナ対策のために、家族の面会はできませんでした。心配ばかりかけた家族には、心から申し訳ない気持ちで悲しかったです。今は、新型コロナの影響のために救急医療が制限され、怪我や病気に注意しています。

 

UCと関連のある病気の治療


2021年に朝起きたら両手がこわばって痛みが出ました。朝はペットボトルのフタが開けられません。UC主治医から院内紹介で病院のリウマチ科を受診して内服薬(サラゾスルファビリジン腸溶液500mg・商品名アザルフィジンEN錠500mg)を服用し治療中です。また鬱症状で同じ病院の精神科に通院しています。

 

UCになってよかったこと


IBDの患者会に入会して、多くの仲間や専門医や看護師などに出会ったことです。同じ患者のトイレの悩みや手術するときはどこの病院のあの先生の手術実績があってよいなど情報共有できました。まさに、人は財産です。

 

UCになって諦めたこと・気をつけていること・実現したこと


国内旅行や海外旅行に行きたくても、トイレなど不安でいけないことです。30分以上車などで移動するときは、前もってトイレの場所を確認しています。


仕事についても介護支援専門員・ホームヘルパー・社会福祉主事の仕事は、利用者様宅へ訪問の時のトイレ使用できないために断念しました。またデイサービスの送迎運転手の仕事も断念しましたし、コンビニ店員を考えましたが、一人勤務で時には、トイレの制約などで断念しました。


ですがその後も市役所に勤務することとなり、定年まで働くことができました。最後の職場は人権推進室で、人権推進・男女共同参画・ワークライフバランスなどに関する仕事に関わることができました。地方公務員でも人の痛みに気づきにくい人も多いですが、病気を通して人の痛みには敏感になったためそこは仕事に活かせたと思います。


現在は、音楽を聴くこと・空を見上げること・知的好奇心(路上観察学)も楽しんでいます。

 

IBD(UC)になっての今後の夢


これからの夢としては以下があります。

 

1     IBD(UC)が完治になる治療法が確立され病気を寛解維持から完治すること。

2     四国一周の自転車の旅にでること。(高校3年の時10日間1000kmの旅)

3     北海道一周の旅にでること。(21歳の旅)

4     青年の翼で中国へ海外派遣された北京・上海・西安を再訪したい。(27歳の旅)

 

IBDのみなさんへ伝えたいこと


UCとともに長く生活してきた経験を踏まえ、皆さんにお伝えしたいことがあります。私もUCを患う中でさまざまな経験をしてきましたが、仕事に就き働くことができました。以下の情報が少しでもお役に立てればと思います。

 

1 通院しながらでも、職場の理解があれば仕事はできます。

2 トイレや食べ物などは、友人や職場やの上司や同僚の理解が必要です。

3 自分でできる仕事に就くために資格が役立つことがあります。

4 私は知的好奇心から、1995年9月から、放送大学に在籍しています。単位を取れば大学卒業(学士)になって、ちゃんと放送大学教養学部卒業と履歴書にも書けます。

5     普通自動車の免許があれば、通院・通学・就職にも便利です。

6     PCでWord・Excelを習得することで事務職につくチャンスがあります。



最後に:B型肝炎のこと

 

UC以外でもさまざまな病気を抱えながら現状を変えようと戦っている人々がいます。以下はその一つのB型肝炎に関する情報です。病気を抱えていても差別やいじめのない社会が実現してほしいと思います。

 

1     全国B型肝炎訴訟弁護団は、集団予防接種によるB型肝炎感染被害について、平成18年に最高裁において勝訴判決をえたうえ、平成23年に国との間で基本合意を締結しました。


2     4年前に広島の弁護団の弁護士を通して、B型肝炎の訴訟を提起して、B型肝炎のキャリアとして和解しました。

今も、B型肝炎に対しては、感染症として医療現場をはじめ偏見と差別があります。

参考に全国B型肝炎訴訟広島弁護団のホームページをお知らせします。

全国B型肝炎訴訟広島弁護団のホームページ (bkanhiroshima.net)


3昭和23年から昭和63年まで集団予防注射等(予防接種またはツベルクリン反応検査)の歳に注射器(注射針または注射筒)が連続使用された原因でB型肝炎ウイルスに持続感染された方が最大40万人いると厚労省のホームページに記載されています。


昭和16年7月2日~昭和63年1月生まれの IBD患者・家族・知人の方で、B型肝炎になられた方は、救済制度を弁護士に相談してみてください。請求には2027年3月末まに訴訟の提訴期限があります。


特に注意がいることは、医療機関によっては、カルテは5年間保存期限切れで破棄されている。母子感染があるなし。またはUC患者はステロイド使用とB型肝炎悪化の因果関係など弁護士の指示のもとに証拠をそろえることで提訴し和解できます。

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