患者体験談

今回は、UC歴約20年、長崎IBDの会ユアジールの会長を務める五十嵐さんに、インタビューをさせていただきました。五十嵐さん、お忙しいところご協力ありがとうございました。
体験談では、対面での患者会が存在し続ける意味や将来の夢など、熱い思いが満載の内容になっています。ぜひご一読ください。
ーー発症はいつ頃ですか?
中学生3年の時、受験前で塾などに通い詰めていた時でした。症状としては、10月頃から出ていたと思います。
受験直前の1月頃から腹痛がひどかったのですが、受験が近かったので我慢していたんです。
親に言うのも恥ずかしかったのですが、痛すぎて我慢できなくなり、母親に相談して病院に行きました。
ーー発症時の症状や状況を教えてください。
最初は、はっきりと潰瘍性大腸炎とは言われなかったです。病院の先生は安心させたかったのか、まだ症状が軽い段階だったので「潰瘍性大腸炎の親戚」という表現をされていました。
処方された薬(サラゾピリン)を飲んだら1か月程度で治まったので、その時はあまり深く考えていなかったのですが、その後、高専2年生のとき、夜中に下血し、はっきりと病気であるという現実を突き付けられた感じがしました。
その時は、もう「死ぬのかな」と思いました。便器が真っ赤になったのが人生で初めてだったので、絶望でしたね。
病気であることを受け入れられたのは、正直最近のことです。学生の頃、2年に1回は再燃していたのですけど、2、3か月ぐらい耐えれば、その期間はきついのですが、なんとかなっていました。なので、病気を受け入れてはいなかったですね。
就職してからは、6年間再燃しませんでした。ですので、病気はもう自分にとって過去のものというかんじでした。
しかし、寛解後6年経って再燃しました。過去最悪の病状で、結果的に4ヶ月ぐらい仕事もお休みました。
その時、初めて病気を受け入れたかんじですね。やはり難病なので治らないし、逃げられないものだと思いました。
ーー病気との付き合いはどうでしたか? 周りにも理解してもらえていたのですか?
学生の頃、周りには言いたくなかったのですが、今思えば学校の先生にもっと早く相談しておけばよかったです。
実際、高専で体育の単位を落としそうになって(通院する曜日と時間帯が毎回体育だったので、出席日数不足で)先生に初めて相談しました。
でも、当時は病気のことをうまく伝えるスキルもなかったので、周りの理解をうまく得られず、悩んでいた時期もありました。
ーーこれまでの治療の経緯について教えてください。
まずは5-ASA製剤を使用していたのですが、高専2年生の時に症状がひどくなって、初めてステロイドを使いました。しかし、あまり効きませんでした。
その後、大学に編入学してからステロネマ注腸を使用し、それから5-ASAで6年間寛解していました。プラス、就職を機に広島漢方を2年間服用していました。
その後、今から4年半前の再燃を機に再び広島漢方を使用して、今は寛解を保てています。
ーー元々、明確にやりたいことが決まっていたのですか。
いや、ぼんやりですね。元々植物が好きで、バイオテクノロジーの研究がしたくて高専に入ったのですが、高専5年生になってようやく、やりたい研究ができるようになりました。
それで、どんな仕事に就きたいのか高専ではあまり分からないまま、大学3年の農学部に編入しました。そこで農業に携わり、今の仕事に繋がっています。
私は転職経験があるのですが、最初は食品を検査する国の機関に就職しました。自分の学んできた専門知識を使って国に貢献できると思ったのですが、本音を言えば、その時は福利厚生が良いので公務員になれば通院しやすいのかなとか、職を失わないための仕事選びをしていたところは正直あります。
ーー現在のお仕事について教えてください。
今は、県の技術職として土壌の改良や肥料の研究をしています。できるだけ化学肥料を使わないよう減化学肥料栽培の手法を作ったり、そのための肥料の研究をしたりとか。今はやりたい仕事ができていて楽しいですよ。
ーーIBDを抱えての就活について
病気を抱えながら最初の就活は、いま思えば工夫してやっていたと思います。工夫した点は大きく2つあります。
1つ目は、就活しているときの主治医は私と年が近い女性の先生だったので、フレンドリーに話せたこともあり就活の進捗状況を話して意思疎通を図ったことです。先生も、今の体調だったらここまでは頑張れるね、などと言ってくださり、相談できたので自分の中で安心感がありました。
もう1つは、所属する大学の研究室の担当教授に、高専での失敗を踏まえて、きちんと説明資料を持って行って病気について説明したことです。
その結果、先生も理解してくださったので、卒論のテーマでもあまり野外に出なくていいようなものを設定してくださって配慮してもらえました。
実験室でひたすら化学分析するようなテーマを与えてもらえたので、トイレにも行きたいときに行けますし、就活をする時間も自分で調整できたり、それがすごくありがたかったです。
就職先には、正直病気についてはクローズで入りました。実は、それが心残りで。嘘をついて入ったような気がしていました。最初の配属先で個別面談があったのですが、満を持して上司に持病のことを相談すると、「そんなの早く言ったらよかったのに」と普通に受け止めてもらえて、すっと肩の荷が下りました。
その経験があったので、転職活動の際は、最初から病気のことを伝え、同時に自分の強みもアピールした結果、評価してもらえました。
最初の就職先では、上司との面談が定期的にあったので、体調が悪いときは、出張を近くの地域にしてもらったりして、ありがたかったです。
結果として就職後6年間体調も悪くならなかったので、飲み会も積極的に行っていました。誘われたら断らないようなかんじでしたね。そのおかげで、友人もたくさんできました。自分の中では体調も落ち着いて、フィーバーしていたと思います(笑)。
ーー病気と付き合いながら働き続ける上での工夫などあれば、お教えください。
しんどいときはすぐ休むことを徹底してやっています。やはりIBD患者は疲れやすいと思うので、基本的には何もなかったら布団で寝ているようにしています。しかし、妻からはよく思われていないかも…なので、そろそろ1回話をしないといけないなと思っています(笑)。
休みの日には4歳の長男を連れて外に行くようにはしています。子どもも、もうちょっとしたら病気のことを理解してくるかなと思います。
ーー患者会設立経緯を教えてください。
4年半前の入院がきっかけでした。転職してすぐ再燃してしまい、それが転機でした。入院期間中に子どもが生まれたのですが、入院しているので会いに行けず、すごく辛い思いをしました。
結局タクロリムスと広島漢方で寛解できたのですが、その後、新しい仕事にも慣れてきたときに、ふと、あんなに辛かった発症時の自分は、誰に相談していたらもっと心が楽になれたのか、病気のことも深く知れたのかと思ったのです。
当時は、患者会という存在も知りませんでした。そこで、インターネットで患者会を検索してみたら、長崎にも2つIBDの患者会があることを知って、早速メールで問い合わせたのですが全然連絡がなくて。さらに調べたら、どちらとも活動休止状態になっていました。IBDの患者数は右肩上がりに増えている状況なのに、これはマズいと思いました。
また、自分の子どもが生まれたというのも大きな理由です。IBDは遺伝しないと言われていますが、わが子がIBDにならないという確証はないので。もしも自分の子が発症して困っている時に、どこかにIBD当事者のための相談窓口があればいいと思いました。
ちゃんと機能しつづける患者会をやろう、自分じゃなくても誰かが窓口をできる仕組み、組織を作ろうと思いました。で、いろんな方の後押しや支えがあって、ようやくできたみたいなかんじですね。
今、会員数は自分を含め11名です。11人中4人は30代以下です。県難病相談・支援センターからの紹介でつながる方が多いです。
ーーTwitterなどインターネットもある中で、オフラインの患者会の価値はどこにあると思いますか。
それは、よく考えるんですよ。うちの患者会の強みは、ピアサポート研修を県の推進として受講している点があります。ピアサポートとは、ざっくりいうと同病者(「ピア」といいます)による患者さんのケアです。その中でうまくコミュニケーションを取るポイントがありまして、そのスキルアップが実は必要です。
当会ではピアサポート研修をとおしてそのスキルアップを図っているところです。オフラインの患者会は、より一層親密になって話を聞けて、よりよいピアサポートができるわけです。
もちろんオンラインもオフラインも両方あった方がいいかなと思います。なんというか、オフラインはハートフルですよね。
例えば、当会の最年少は13歳の男の子でして、県難病相談・支援センターをとおしてお母さんから相談がありました。
何回か面談させてもらってですね、初対面のときは典型的なIBD患者ってかんじでゲッソリとしていたのですが、会に来てからは体調も少しずつ良くなっていってくれたようでした。僕らの年は離れていても同病者なので、「友だち」みたいなかんじですね。経験して改めて思いますが、やっぱり患者会の存在は大きいと思います。
その他の活動としては、年に1回、食事指導講座をしています。管理栄養士の先生を呼んで、講義と実演を一緒にして、交流会もしています。コロナ前は定期的な相談会や交流会もやっていたのですが、今はコロナなので、相談に応じて、個別面談をしています。
ピアサポート研修を受けるメリットとして、一番は、相談者さんが相談に来てよかったと笑顔で帰ってくれることだと思うので、そのためには対話力が必要だと思います。
傾聴スキルの研修を、グループワークをしながら専門の講師の方から受けられるので、とてもいいと思います。単純に同病者同士で話すのって、結構危なかったりすることもあるんですよ。
相談に来られたのに、逆に気分を害してしまったりする可能性もあるので、そういうことを回避するためにも、研修で学べるのはいいですね。額に飾りたくなるような修了証もいただけますし(笑)。
ただ、若い方があまり研修を受けていないのが残念だなと思います。もっといろんな方に受講してもらえるように呼び掛けられるようなパワフルさを持ちたいですね。
ーーいや、もう十分パワフルだと思います! IBDと付き合っていくうえで、特に就職活動時など、メンタルをうまく保つ工夫はありますか?
就活時は、自己分析を徹底して自分なりの長所を考えました。私の場合、小学校から高専まで剣道部の主将を任されたり、何かしら代表者をする機会が多かったです。
リーダーシップというか、結構そういうのをやりたい方で。そこが他の人にないところかなと思い、自分の長所や強みが分かってからは、心がぶれなくなりました。
なので、就活で困っている方やちょっと参ってしまっている方も、自己分析を徹底すれば何かしらの長所を見いだせると思いますし、それが見つかると精神的に落ち着いたり強くなるのではないかと思います。
ーー今後の目標や夢はありますか?
漠然とした夢ですが、経営者になることです。自分のやりたい仕事を追究することが一番かなと。それから、自営業だったら自分の好きなタイミングでトイレに行けるので。
あと、人を雇うことがあれば、IBDやIBSなどの患者さんが不利にならないような職場にしたいです。私が知っている患者さんは、とても優秀な人が多いですし、難病患者さんを優先する訳ではないですが、持病があることでその人の強みが評価されないことが多いように感じていますので、人としての価値がきちんと評価される場作りというのは、自分の中でいつか実現したい夢です。
また、患者会としてのゴールは、自分がいなくなっても窓口を存在し続けることです。患者会がまるまる休止状態にはならないということが大事かなと。
今、ユアジールは3大プロジェクトというのを掲げています。
まず1つ目はグッズを利用した患者会の周知です。患者会を多くの方に知ってもらいたいので、役員で通院時にユアジールのロゴをプリントしたTシャツなどのグッズを身に着けて病院に行くことにしています。
待合室など同病者がたくさん集まるところに着て行って、待合室の人や医療従事者に患者会を知ってもらう。それが何かしらのきっかけになればと思っています。
2つ目は、出版プロジェクトです。去年企画書を書き始めて10社ぐらいの出版社さんに送ったら、結構反応があったのですが、費用の問題があるので…ちょっとずつやっているところです。
クラウドファンディングなどで費用を集められたらいいなと。内容は、最初の計画ではIBDの解説と、向き合い方みたいなかんじですね。周りへの説明の仕方とか、そういった実用書に近いものをイメージしています。
3つ目は、教育機関に対してIBDやIBSの理解を広げる活動です。こちらは構想だけでまだ動いてはいませんが、学生で発症することが多い病気ですので、患者ができるだけ学校で不利にならないよう合理的な配慮を求めることが目的です。
なかなか難しいことかもしれませんが、患者会ができる大きいことの一つとも思っています。
ーー診断直後の患者さんへのメッセージ
長崎には長崎IBDユアジールがあるので、知り合いにIBDの方がいればぜひ紹介してください!IBSの方も所属しています!よろしくお願いします!