患者体験談

今回は、UC歴4年のCocoaさんに体験談をご寄稿いただきました。病気との付き合い方、仕事への姿勢、新しい挑戦など、Cocoaさんらしいなと感じた内容でした。Cocoaさんと話しているといつも襟を正される気がします。病気や仕事で悩みがある方はぜひご一読ください。
私はいつもマイノリティ。
人とは違うことに驚き、違うことに興味を持ち、違う発言をして、行動をする。
そして、人とは違う病気になりました。
潰瘍性大腸炎 全大腸型と自己免疫性膵炎2型。
#私のこと
私を形容する言葉で、人生で最もいわれた言葉は、「変わってる」。
私は小さいころから流行りに流されることもなく、意味のない学校の慣例を覆し、仕事でも“会社初”に数多く携わるなど。
とにかく私は人と違うことに興味があり、当たり前のように当たり前を否定できる人でした。
#発症
2017年冬、なんかお腹の調子が悪いなと思っていたら、みるみるうちに悪化して出血が止まらなくなりました。病院に行って検査をすると、潰瘍性大腸炎という診断が出ました。当時の首相と同じ病気でした。私の感想は「なんかBIG」。
2018年夏、今度はお腹の上のほうが痛くなりました。数日のうちにみるみる痛くなって呼吸するのも辛くなりました。私は半休を取って病院に行き、そのまま流れるように3週間の入院が決まりました。
自己免疫性膵炎2型、潰瘍性大腸炎の合併症のようです。とても珍しい病気だと先生から説明を受けました。私はBIGでレアな病気になりました。
#悪化
2019年春、体調は最高潮に悪化しました。15~20回/日くらいトイレに駆け込み、夜中も7回くらいダッシュします。大腸は水分を吸収する役割を果たすので、それができない私はとにかく大腸に水が溜まります。
朝はとにかく起きると同時にその水が下に一気に下がるので、1秒たりともロスなくトイレに駆け込んで何とかギリギリ間に合うレベルでした。
靴紐を結ぶために屈むことも、助手席でシートベルトをすることも、少し痒くてもお腹をかくことも無理でした。
どうしてもエレンタールが飲めなかった私は、食べ物はほぼ生後数か月の幼児と同じレベルまで落としました。
#Gコミュニティとの出会い
2020年夏、私はそれまで総合病院で治療していました。治療はずっとステロイド、先生はステロイドは止められないといいました。私はG-CAPで通っていた透析室でたまたまCCJAPANの冊子をもらいました。そこに載っていたのがGコミュニティです。
Gコミュニティでステロイドの生涯摂取推奨量を聞きました。私はこの時すでにかなりのステロイドを摂取していました。これはマズいと思い、転院を決意しました。
#もう後がない
新しい病院でたくさんの治療を試しました。アサコールやリアルダはもちろん、ステラーラ、シンポニー、エンタイビオ、プログラフ、G-CAP等。
どれも寛かいには至らず、そして、2021年夏、私にはあと1-2個しか選択肢がないことを聞きました。さすがにマズい。
私は以前やりかけて頭痛の激しさに断念した青黛に再トライすることにしました。
私の場合はたまたまこれがハマって、2021年冬、何とか臨床的寛解まできました。しかし少しのことで体調が不安定になるので、今でも数日に一度は雑炊にして食事を制限し、体調にかなり留意して生活しています。
#仕事
会社は本当に病気を理解する努力をしてくださって、私はいつでも休みがとれますし、コロナの影響でできた在宅制度も人より多く利用させて頂いています。
体調はすぐれない日も多かったですが、その中でいくつかの成果もあげることができたので何度か賞もいただくことができました。
病気を持っていると「何より体調を最優先で考えて。」といわれることがありますが、言われ方によっては、それは優しさであり、同時に残酷さを含んでいます。
常に体調のことを最優先にしていたら、なんの仕事もできないからです。
私は常にどちらを優先するという感覚はなく、体調が悪いときでも定時内は仕事優先だし、定時外は全力で休む(というか動けない)。仕事を優先できないレベルなら入院します。
残業はとにかくしないようにして、出社なら食事はおかゆだけ持っていくなどして仕事に支障が出ないように調整します。仕事を定時で切り上げるために、猛烈に忙しければ人に頼ります。私は病気をフルオープンにしています。
#挑戦
2022年4月、私は新しい部署へ行きます。これは私の希望が通った形で、新しい制度を利用して女性の事務職で初のことです。
勤務地は遠くなる、新しい環境、出勤も増える。他の一部の会社では会社もリスクヘッジしたいので、私の病気のことを鑑みると認められなかったかもしれません。
しかし私の会社では、たくさんの配慮をしていただいて認めてもらうことができました。私は本当に感謝しています。
#最後に
女性であること、病気があること、それらは私にとって1つの要素でしかありません。私はこの病気になって、「なんで私が」と思ったことはありません。
私は私の生きる道を自分で開いてきましたし、これからもそうです。
それが後に誰のためになってもならなくても、どちらでも良く、好きにしてほしいと思います。
ただ、自分のためにやってきたことで、ほかの人がついでに救われたり、道が開けたり、いいほうに世の中が転んだりしたらラッキーだなと思います。
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