患者体験談

潰瘍性大腸炎の娘様の母親であるyukko-tさんに話を伺いました。中学生での発症から前向きに様々な壁を乗り越えられてきた娘さんとその娘さんを後押しされてきたyukko-tさん。学生生活、受験、食事、医師との関係、看病と仕事の両立など様々なことを語っていただきました。ぜひご一読いただけましたらと思います。



ーー潰瘍性大腸炎の発症はいつ頃ですか?また、発症時の症状や状況を教えてください。

 

中学2年生の時、突然おしりから血が出たと娘から聞き、トイレに行ってみると便器が真っ赤な状態でした。その時は、お腹が痛いと言っていました。

 

近所のクリニックへ行くとお腹の風邪だと言われて、抗生剤と吐き気止めをもらいました。でも、一向に良くならず、総合病院に行きました。そこでしばらくして内視鏡検査をし、潰瘍性大腸炎かもと言われました。

 

血便、腹痛があり、入院中はお腹に優しいもの(おかゆや魚をくずしたもの等)が出ていました。お腹が空くので食べましたが、とてもお腹が痛かったです。

 

知人の看護師に相談するとその状態なら絶食だよと言われ、IBD治療で有名な大学病院を教えてもらいました。紹介状を書いてもらう時、嫌な顔をされましたが、大学病院に転院しました。その時娘はかなり体重が落ちていました。

 

内視鏡をしてもらうと、潰瘍性大腸炎、中等症と診断され、最低2週間絶食と指示を受けました。

 

中学3年生の時にはほとんど学校にも行けず、合計5回入院しました。一番CRPが高い時は18くらいになりました。体の色々な所が痛くなり、同時に目がぼやけたり、40℃近い高熱が出て入院したこともありました。その時に大学病院で何科も受診しましたが分からず、後に高安病(高安動脈炎:おもに大動脈およびそこから枝分かれする太い血管(冠動脈、肺動脈など)に慢性的な炎症を起こす自己免疫疾患)を合併していることがわかりました。

 

ステロイドを服用していたのですが、顔にステロイド酒さができて、口以外真っ赤になりました。女の子なのに・・・ととても悲しくなりました。


ーーこれまでの治療の経緯について教えてください。

 

はじめは、アサコールとミヤBMでしたが症状が改善せず、ステロイド注腸を試しましたがそちらも効果がみられず、ステロイドの飲み薬に落ち着きました。

 

しかしステロイドを減らすと血便が出るという状態が続いたことから、ヒュミラを開始し、症状が落ち着きました。

これで効かなかったらオペと言われていたのでホッとしました。

 

途中でメサラジンの量を増やす目的でアサコールがリアルダに変更になりました。高安病のほうでは免疫抑制剤のネオーラルを使っています。それからアレルギーの数値が高いと言われ、アレルギーを抑える薬も飲んでいます。骨粗鬆症を防ぐためにボナロン、ビタミンB、C、漢方薬、あとは塗り薬です。

 

ーー診断された時のお気持ちや印象に残っていることは?

 

病気の名前を全く知らなかったので、診断時は「え~!」っという感じでした。ただ娘本人が至って前向きだったので、そこに救われました。私自身は受け入れるのに5年はかかったように思います。

 

同じ潰瘍性大腸炎でも食事は人によってNG食が違い難しいですね。そのためさまざまな情報を探していました。


食事のことを勉強したくて、近くの本屋にはIBDの本が置いてなくて、ショッピングセンターの書店に行って、店員さんに「潰瘍性大腸炎の本ありますか?」と聞いたら、実は・・・と話始めて、店員さんも潰瘍性大腸炎だということがわかりました。


同じ病気の人に会えて励みになりました。5年後に書店に行くと覚えてくれていたのが嬉しかったです!


5年の間、潰瘍性大腸炎の本を聞かれることがなかったので印象に残っていたそうです。店長さんになっていました。「新薬出るのが楽しみですね」と話してくれました。きっとリアルダのことだったと思います。


ーー何度も入院されたとのことですが・・・。

 

食事が気になるので通院時にもお弁当を持参していましたが、急遽娘が入院になり娘がお弁当を食べられなくなったので、泣きながら娘の分のお弁当を食べたこともありました。

 

入院中、いつも病院の窓から娘が手を振ってくれていたのですが、私達は帰り道泣いていました。

 

私が仕事の時は、おじいちゃん、おばあちゃんが娘の病院に行ってくれました。仕事が終わる時間が面会には間に合わなかったので、とても助かりました。

 

娘が体が痛くて入院している時、お風呂でシャンプーするのに手があげられず、私が手伝っていたら、一度だけ「私何も悪いことしてない」と泣きだしたことがありました。

 

この時は、なぜうちの娘がこんな病気になったのだろうと心から思いました。膠原病ストレスで起きる病気と言う人もいましたが、本人が気持ちを持ち直してくれたので良かったです。

  

ーー中学生での発症とのことでしたが、学校生活や進学についてはどうでしたか?

 

英語が大好きで英語の点数は良かったですが、数学は苦手でした。入院も多かったので、娘が高校生になれるか悩んだ時期もありました。

 

ですが、ちょうど受験の頃に、中学の先生に体調で休むこともあるだろうし、授業の面で融通がきく私立に行くのはどうかと提案がありました。

英語が優秀なことを生かして受験を行い、その私立の高校のグローバルクラスにどうにか入ることができました。

 

高校は電車1本で行ける非常に通学の負担の少ない場所になりました。病気があることを初めに学校に伝えたのですが、担任の先生は過度に気を遣うこともなく、娘の学校生活を後押ししてくれました。娘は担任の先生に応援してもらい英語の勉強をとても頑張りました。

 

大学受験はレベルの高い大学を受けるように勧められて、国公立を受験したのですが不合格でした。その時本人は「大学は見る目がない」と言っていました。

 

ですが結果的に、別の外大で上位10%のクラスに入る形で無事入学することができました。その時は親子で大喜びしましたね。

 

ーー仕事と娘さんの看病をどのように両立していたのですか?

 

娘が病気になる前に私はパート社員から正社員になったのですが、もし病気になってからだったら自分の性格上、正社員にならずにいたと思います。

 

でも娘が病気になる前だったので正社員になり、大変な部分もありましたが、夫やおじいちゃんおばあちゃんと協力し合って病気と向き合ってきました。

 

正社員になっていたから、いい意味で頭から離れて仕事だけに集中しました。そうでないと私はずっと考えておかしくなってしまっていたかもと思います。

社員になった分、我慢することが多い娘に、喜ぶものを買ってあげることができ良かったと思っています。

 

2つ違いの兄がいますが、とても優しく、彼も妹をかわいがってくれています。色々気にかけてくれますし、病気になったことで、逆に家族が助け合っていこうと、さらに1つになった感じがしますし、その点はとても嬉しく感じています。

 

ーー大学生活はいがですか?

 

入学前に大学と担任の先生に病気のことを伝えましたが、授業毎に先生も変わるし、何かあれば自分から言ってくださいと言われました。幸い大学入ってからは体調を大きく崩すことはない状況です。

 

大学では周りの友達にも恵まれているようです。友達も無理に気を遣うのではなく、うどんが好きだからとうどん屋に付き合ってくれたり、おまんじゅう好きだからと低脂質のおまんじゅうを一緒に立ち食いしたりしてくれています。

 

また今年8月からアメリカへ1年留学(実質9カ月)に行く予定で準備中です。たくさんの種類の薬が処方されているので、留学先の大学の保険でカバーされるのかどうかが不安で、今調べているところです。

 

また、これまで娘は家でもほとんど家事をしてきませんでした。家では薬の袋をテーブルに置いているのですが、あまりに量がすごくて、家のお手伝いしてほしいとなかなか言えない状況でした。

 

お米の炊き方も最近まで知らなかったので、娘が体調を維持しながら生活できるかなど心配な部分もあります。

 

ーー食事に気をつけているとのことでしたが、詳しく教えてください。

 

中学は給食でした。最初は食べれるものだけ食べようということになりましたが、娘が帰ってくるなり、「今日は白ご飯と漬け物しか食べれなかった。」と言うので家からおかずを持って行くようにしました。

 

お弁当はたまごを焼いたり、焼うどん弁当を作ったりしましたが、特にササミでカツを作り、ノンフライヤーが活躍しました。

 

我が家では「ノンフライヤーさま」と呼んでいるくらいです。例えば、じゃがいもを湯がいた後にノンフライヤーを使うと、本当に揚げたみたいな味でポテトが食べれて気に入っています!家族全員が、揚げ物はノンフライヤーで食べています。

 

それから、ムネ肉で焼肉のたれやすき焼きのタレでそぼろを作ったり、ミートボールを作って冷凍にするのも便利です。

 

最近はヒュミラを打った後は、友達とピザを食べても体調が悪化しないくらいに症状が落ち着きましたが、娘の体にあう食事を把握するまでに3年くらいかかったと思います。

 

ーー他の患者さんやご家族との交流の経験はありますか?

 

患者会に行ったことがありますが、娘と同世代や私と同じような境遇のご家族もおらず、ベテランさんが多かったので交流が難しかったです。最終的に2回くらいで行かなくなりました。Gコミュニティでオンラインでの同世代の親で交流ができるといいなと思います。

 

ーー病院の先生との関係性はどうですか?

 

病院の先生も当たり外れがあるように思います。娘が大学生になって平日通院が難しくなったので、土曜に変えてもらったのですが、その時に新しい先生に変わりました。

 

主治医が交代するとまず病気やこれまでの治療経緯について一から説明しなければなりません。

 

また、予約していても診察までに1~2時間待たされるにも関わらず、診察は3分で終わります。留学先の近くの病院を紹介してほしいとお願いした時も、できないとはっきり言われました。

 

一方、以前小児科でお世話になった先生は親身になってくれていました。勉強どう?など娘の日常生活にも気を遣っていろんなことを聞いてくれていました。とても感謝しています。娘の年齢的に小児科は卒業となるので、新しい先生ともうまく関係を築きたいと思います。

 

また高安病かもしれないとなった時にとても親身に対応してくれた看護師のこともよく覚えています。入院中も周りが高齢の方が多い中、とても優しくしてもらい、可愛がっていただきました。

 

娘の病気で悩むことも多いですが、何かあった時は、大丈夫!潰瘍性大腸炎は死ぬ病気じゃない!と切り替えて、前向きに娘をサポートするようにしています。

 

ーー診断直後の患者さんへのメッセージ

 

診断直後の方は、何で?私(の子)が・・・と病気を受け入れるのがつらいと思います。

 

親は本当に心配だと思いますし、本人も不安ばかりだと思います。

特に食事を作られる方は、自分の作る食事が体調を左右すると感じるので負担がかかると思います。

 

ですが、病気の経験は決してマイナスばかりではありません!

 

病気になってラッキーとは言えませんが、病気があったことで、周囲の人のサポートのありがたみがわかったこともありました。

なかなか受け入れたりリズムを掴むのは大変ですが、今から考えたらきっと意味があることだと思います。

 

医療は研究が進みどんどん進歩しています。IBDは10年前は、うどんや豆腐しか食べれない病気だったと医者から言われましたが、今は違います。

 

医療はもっともっとよくなるはずです。私はそう信じています。

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