患者体験談

今回は高校生の時に発症され、その後さまざまな治療の経験を経て、現在も仕事人としてのキャリアを着実に積み上げていらっしゃる女性のクローン病患者さんであるabqさんの体験談後編です。前編は以下となります。


https://gcarecommunity.com/article/1002


治療経緯は壮絶ですが、そのような経験を踏まえた仕事に対する姿勢や人に対する優しさ、そして人生観は本当に素敵です。ぜひご一読ください^^  Gコミュスタッフ



ーー治療の変遷(薬剤、手術、ストーマ)


私はクローン病の中でも重度とか難治という部類に入るのではないかと思います。

病歴23年の間に入院した回数は、数えきれません。入院の頻度としては、年1回で済めば良い方で、体調がものすごこう悪い時は、退院後1週間で再入院することもあったり、毎月のように出たり入ったりしていた時期もあります。


開腹オペは7回で人工肛門は3回造設しています(うち2回は閉鎖できました)。大腸は2回目のオペで全摘し、その後複数回のオペで小腸もちょこちょこ切除し、現在の残存小腸は1mありません。7回目の手術では直腸と肛門も切除しお尻を閉じています。


残存小腸が1mないということで短腸症候群となり、水分の吸収がうまくいかず脱水となるため、在宅で24時間ずっと点滴をしています。


確定診断直後の治療は、絶食とエレンタールとステロイドでした。エレンタールは経口も経鼻も経験しました。私はエレンタールがやはりどうしても苦手で、決められた量飲むことが本当に大変でした。経鼻での夜間のエレンタールも、なかなか寝付けないし、起きた時にエレンタールでお腹がいっぱいで、胃からエレンタールの匂いが上がってくるのに耐えられず、長くは続ききませんでした。その後ラコールという栄養剤も使えるようになり、そちらを飲むようになりました。


診断後、4年ちょっとくらいで腸穿孔で緊急手術となり、1年半くらいストーマと在宅で点滴をしながら過ごしていました。診断後からずっと大学病院で診てもらっていましたが、この大学病院はIBD専門の科がなく、医師たちも手探りでの治療をしている状況でした。


オペをしてからは外科にメインで診てもらっていましたが、内科の先生がIBDの専門の医師を紹介してくださり、そちらにセカンドオピニオンを受けにいきました。紹介していただいた医師には、今も継続して診てもらっています。


IBDの外科手術の経験が豊富な有名な医師で、当時の私の状況を診て、大腸全摘してストーマも閉鎖しよう!と決断してくれました。手術はうまくいき、オペ後3週間弱で退院でき、これを機にステロイドからも、在宅での点滴生活からも離脱ができました。この手術後は、10年くらいは全く入院せず数ヶ月に一度の外来と服薬治療で体調を維持できていました。


10年経った頃くらいから、結節性紅斑や低栄養、肛門周囲膿瘍、腸管皮膚瘻孔と、合併症のオンパレードとなります。低栄養が続いていた頃から、イムランを使い出しましたが、私にはあまり効果は見られず、最終的には白血球と好中球が少なくなる副作用が出てしまい、使用を中止しました。


イムランをやめただけでは白血球は戻らず、個室に入院し、毎日好中球を増やす筋肉注射を続けてほぼ1ヶ月治療を続けてようやく改善の兆しが見えてきました。


お尻とお腹の痛みが数年単位でずっと地味に続いていて、ある日お腹の皮膚の一部の表面がすごく痛くなり、腫れてきました。外来で診てもらったら膿がたまっているということで、切開してドレーン留置したところ、数日後そこからさらに腸液が出てきて、腸管皮膚瘻確定となり入院し、始めてバイオ製剤(レミケード)を投与しました。


私は狭窄もあったので、もしかしたらレミケードを使うことで狭窄が悪さをする可能性も考えられましたが、皮膚瘻をどうにかする方が医師たちの優先順位としては高かったようです。レミケードはものすごく効いて、投与翌日には腸液がシャバシャバに出ていた瘻孔が閉じかかっていました。表面的に瘻孔が閉じたのを確認して栄養剤→食事とスタートし、2週間程度の入院で退院できましたが、退院後数日たったところで腸閉塞疑いで夜中に救急搬送されました。


専門医がいなかった為、様子見で入院して、翌日専門医が画像を見たところ、腸穿孔して腹膜炎していることが発覚し、すぐに緊急手術となりました。この手術の後、縫合不全をおこし、2週間後に再度オペ。この再オペでも縫合不全となり、さすがにもう手術はできないと医師は判断しました。


7本もの管やら機械につながれて3ヶ月超の入院を経験することとなりました。もちろんのこと絶飲食。3ヶ月経ったあたりで、病院でできることはもうなく、管を取ることはできないけれど、自分で洗浄等の清潔管理を覚えて自宅に帰るよう言われました。


そうして、在宅で瘻孔や傷に清潔管理と点滴を自分で管理することとなりました。半年後、お腹の中の炎症が落ち着いたところでもう一度オペしようという計画をたて、半年経つまで、絶飲食と管だらけの体で指折りオペの日を待ち侘びていました。


体重は30キロを切るようになり、脇に体温計を挟んでも、挟む肉がなくておちてくる有様でした。医師と約束した半年が過ぎ、オペをして人工肛門の造設をしました。このオペによって管もなくなり、食事もできるようになりました。体重がみるみる増え、在宅での点滴生活からも卒業しました。人工肛門造設後1年半たったところで、状況が落ち着いているので人工肛門を閉鎖することができました。


人工肛門の閉鎖はそれはそれでよかったのですが、もともと少し症状があった直腸膣瘻の症状が悪化してきて、効果のほどはわからないけれど、ほんの少しの可能性にかけてヒュミラを始めました。ヒュミラは半年程度使いましたが、効果が見られないということで利用は中止となりました。当時の仕事のストレスがひどく、直腸膣瘻の漏れ具合がひどいのと、腹痛も激しく、腹腔内膿瘍、皮膚瘻も再発し、膿が体内にたまることでの感染の発熱がでてきて入院することが増えました。


最終的には絶食、中心静脈栄養となり、オペも検討されました。ただ、オペの前にもし効けば、、という期待を込めてエンタイビオをはじめました。効果がでるのに時間がかかる薬だとは聞いていましたが、3回程度投与しても全く快方に向かわず、オペをすることが決定しました。


直腸を切除して永久ストーマを造設することになるオペでしたが、何度も入院する中で、その術式でオペする友人が複数人いて、どの人もQOLがあがり今を楽しく生活しているのを知っていたので、あまり悲壮感はありませんでした。とにかくQOLをあげたい。何もできないこの状況から脱したいという思いでのオペでした。


これまでに経験したオペでは、オペ翌日に起き上がって病棟を歩くのは比較的容易だったのですが、7回目の今回に限っては、ベッドサイドに立って足踏みするのが精一杯で、歩くことができませんでした。オペ後のダメージが大きいのは、年齢のせいなのか、オペの内容のせいなのかわかりませんすが、オペ後10日間くらいはずっと気持ち悪くて食事を始めるのに時間がかかりました。オペからの回復に一番時間のかかったオペでした。


お尻を閉じたことで肉を縫い合わせている糸が動くたびにつれて痛いのは、抜糸するまで続き、抜糸時も叫ぶほど痛かったです。抜糸後の今は、特にトラブルなく過ごせています。一方ストーマの方は、腸が短い中で医師が無理やりにどうにかこうにか作ってくれたので、ストーマ自体の高さがなく、管理をするのが非常に難しいものでした。貼付期間が1日ぎりぎり持つかくらいで、漏れやすく、皮膚トラブルが常に起きている状態です。


これは、装具の費用も嵩みますし、精神的にも「また失敗した。。。」という自責の念が消えず、漏れたらどうしよう、、、という気持ちから活動的になれない日々が続いています。


このオペの退院後に一番困ったのは、度重なる中心静脈栄養のカテーテル感染と脱水です。カテーテル感染になると抗生剤の点滴で2週間は絶対に治療しなくてはならず、抗生剤治療終了後には、再度鎖骨下からカテーテルを挿入しなくてはならないのが、何度やっても慣れず辛いです。私は何度も鎖骨下からカテーテルを挿入しているので、血管自体が狭くなってきてしまっていて、いずれは鎖骨下からの挿入はできなくなる可能性もあるかもしれません。。。


脱水は、数回のオペを経て残存小腸1m弱となった為、排便は基本下痢それもかなりの水下痢となる為、水分の吸収ができてないことで起きています。常に喉が渇いていて、ひどくなると手足を始め体の至る部分が痺れたり、気持ち悪くなったり、ひどい倦怠感が続きます。何もやる気がおきなくなり、実際に(やりたいことの何分のいちも行動に移すことができません。


尿量も少なくなり、膀胱炎になりやすかったり、腎臓への負担がひどくなります。人に伝えてもこの辛さの程度がうまく伝わらず非常に困るところです。


私は、一生脱水で点滴しながら、カテーテル感染を繰り返して、最終的には抗生物質の耐性菌ができて敗血症になって亡くなるのだろうか、、、という明るくない未来がちらついていましたが、2021年末から短腸症候群の人に使える、腸の絨毛を伸ばすという注射の薬(レベスティブ)が発売となり、2022年の3月から私も投与開始することができました。


毎日注射で、患者への負担は少なくないのですが、この注射のおかげで尿量が少し増え、常にあった喉の渇きから解放されました。血液検査上の腎臓の値も改善されてきており、私にとってはこの薬は効果があったのではないかと思います。毎日続けている点滴を離脱できる日はまだまだ先かもしれませんが(医師には、点滴の量を減らすには年単位で見ていく必要があると言われています)、新しい薬の開発と共に、自分の未来にも希望がある!と信じたい気持ちになっています。


ーー病気を抱えながら働くことについての考え方


私は、病気になっても働きたいと思い続けていて、その時その時で、ニーズがあったりご縁があった場所を転々としながら、ここまできました。なので、キャリアについては一貫性がなく、どれも中途半端ともいえなくない状態です。


病気を抱えていても、病気を理由にせず自分の計画しているキャリアを邁進できる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそれができませんでした。今でもキャリアプランを考えるとか、ライフプランを考えるとかはものすごく苦手です。


病気と一緒に歩んできたこの23年間、自分の思い通りに物事がすすんだ試しがほぼありませんでした。大体が想定外。なんかいい感じになってくると、病気が再燃して振り出しに戻るみたいな。でも、私みたいな人がいてもいいんじゃないかなって思います。


これまでしてきた経験は、きっとこの先のどこかで、想像もしない形で役に立って、点と点が線になってつながるんじゃないか、って信じたい気持ちでいます。(実際に線になった経験もいくつかありますし、その瞬間ってものすごく興奮します!!!自分の選んできた選択肢は、ここにつながっていたんだね、って、人生の答え合わせをしているような感じです)


今の状態は正規雇用ではないので、経済的に自立ができるような状態ではありません。家族がいるから非正規雇用で働けているのだと思いますが、私自身はこの先病状が悪化したとしても、正規非正規に関わらず、何かしらの形で、働いて社会の中に居場所を持っていたいし、どこかで誰かに必要とされる自分でいたいと思っています。


仕事をするのって、どうあがいても生活の大半を捧げることになるので、自分が成長できたり、わくわくしたり、この仲間と働くのが好きだ!と思えたり、この環境がありがたい!と思えるような場所で、楽しく働いて、何度も医師や医療従事者のみなさんに救ってもらった命を燃やして、生きる意欲や楽しみを絶やさずに日々を過ごしていきたいです。


自分の病気については、会社で隠してはいませんが、大っぴらに積極的に話すわけでもないスタンスです。会社での仕事のパフォーマンスに病気をからめて考えてもらいたくないのもありますが、自然な形で「難病(内部障害)の人と働くこと」っていうのを周りの人に知ってもらえたらいいなって思っています。(出社時に点滴ポンプも持参しているので、たまにアラートが鳴り、バッグをがさごそしてる瞬間が、私が一番“病人“として見える瞬間だと思います)


もしかしたら、私のことを病気だとは思っていない人も、会社にはたくさんいるかもしれませんが、それはそれで自分の仕事が、病気に左右されず評価されているんだと思えますし、何かの拍子に「あ、そうなんだ」と知ってもらう位でいいかなと思っています。(今後の人生で、私と働いたことのある人が、私のような難病や内部障害のある人に出会って、あ、そういうえば同じような人と仕事していたな〜、って思い出す日がでてきてくれたらいいなって思います。なんなら、その人に私の話をしてくれたら最高です笑)


あまり病気のことを会社で話題にはしませんが、世界IBDデーの日には、社内で書く日報に病気のことを書きました。IBDっていう病気があること、IBDの私が働けているのは、会社とみなさんの配慮があるおかげであることと、感謝の気持ちと、これからもよろしくお願いします。という気持ちを伝えました。

こういうささやかな啓蒙活動は、ちょっとずつやっていこうと思います笑


ーー今後の展望


あまり視野が広くないし器用でもないし、なんならフットワークも軽い方じゃないので、昔も今も「目の前のことに全力で取り組む」をひたすらしてきましたし、きっと今後もそうなると思います。


先のことを考え過ぎても大体思い通りにはならないので、一つ一つの選択肢を後悔ないように選択していくことが、後悔ない未来につながると信じています。ストーマとか点滴とか、色々制限はありますが、制限のある中でも、チャレンジしたいことは色々あります。今すぐにとはいかなくても、いつか実現したいな〜って夢見ながら、日々の生活を粛々と過ごしていきます。


ーー診断された直後の方へのメッセージ


今は重症化せずに治療ができる薬がいっぱいあるので、きっと私のような経緯を経る患者さんはかなり減ってくると思います。ので、安心してください!笑 


自分で書いていてもだいぶヘビーな病歴でしたが、私が不幸かというと、だいぶ不便であることには変わりないですが、病気を理解して私を受け入れてくれる家族や友人や会社とも出会えて、決して不幸ではありません(と、今現在は思っています)


「病気になってしまったこと」を、「幸せに生きることができなくなってしまった」にイコールで結びつけないでほしいと思います。


周りの健康な人と比べると心が荒んだり、病気の痛みや辛さで、いろんな意欲を失ってしまったりすることもあるかもしれません。自分の辛い体験を、どんなふうに昇華するかは、その苦しい局面を乗り越えた、その後の自分次第でもあります。


良くも悪くも、今の状況が永遠に続くわけではないので、良い時はめいっぱい楽しんで、苦しい時はなんとか耐え忍んで、、、自分にしかわからない楽しみとか、何でも話せる友人とかを作って、病気一色にならないような自分の人生を歩んでいってください!(私は割と病気の占める割合多過ぎですが笑)

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