患者体験談
今回は前回の就労イベントにもご登壇いただいた潰瘍性大腸炎のNikkiさんに体験談をご寄稿いただきました。Nikkiさんは入院とバイトを繰り返す日々から社会人生活をスタートさせ、そこからフリーランスへ転身、そして財団法人へ勤務と本当に様々なことを経験されています。その中で一貫されているのは仕事への興味・好奇心です。病気を抱えながらも、やってみたいこと、楽しいと思うことにフォーカスする生き方は本当に素敵です。ぜひご一読ください。 グッテスタッフ
発症当初の話
20歳くらいの時から少しお腹の調子が悪いなと思っていて、粘液便や血便が出るようになってあちこち病院を回ったのですが、言われるのは痔や過敏性大腸炎などで、なかなかはっきりとした病気の診断がつきませんでした。
市販の薬を飲んでみたり、自分の体を騙し騙し過ごしているうちに徐々に症状が悪化し、23歳の時に「潰瘍性大腸炎という難病です」と宣告されました。
入院とバイトを繰り返す日々
トイレの回数が多く仕事への影響が大きかったため、専門学校卒業後はフリーターとしてスニーカーの販売員を2〜3年続けました。
その後、より安定を求めて派遣会社に登録し、機器会社で半年間勤めた頃に症状が悪化、正社員のオファーもいただきましたが、オファーを受けたとたんに長期で入院することになってしまい、当時の課長から「雇用の継続は難しい」と言われ、入院中に退職を余儀なくされました。
直腸に近いところに潰瘍が集中していて、治療としては肛門からステロイドを朝晩注入していたのですが、症状に波があり、入院とバイトを繰り返す生活を送っていました。
2〜3ヶ月間にわたる入院を年に3回程といった感じで、とても長期で働ける状況ではなかったため、体の調子が良い時だけ近所の図書館やスーパーやデパートでのマネキン販売員といった短期間や即日でできるアルバイトを選ぶようにしていました。
これだけ聞くと壮絶な生活と思われるかもしれませんが、私自身、短期バイトは楽しんでいました。
入院中は辛いこともたくさんありましたが、症状が落ち着いてきたら、自由に使えるお小遣いが欲しいこともあり、次は「このアルバイトが楽しそうだな!」と新しい世界に飛び込むイメージでそれぞれの仕事は楽しんでいました。
病気の発症から20代の間はそんな感じで生活していましたね。
ですが、20代といえば、海外旅行をしたり友達と美味しいものを食べに行ったり、結婚したりとキラキラとした経験がつめる時期です。私の周りでも、同世代の友達が楽しいことをたくさんしていました。
なのに、自分は食べたいものすら食べられない、海外旅行にも行けない。先が真っ暗になり、将来への不安に押しつぶされそうになることもありました。
転機となった手術
その後、ある時大出血してしまい、いよいよ内科的治療が難しくなり、30歳で大腸全摘出の手術をすることになりました。
この病院でIBD専門の医師と出会い、「今まで大変だったね。手術をすれば普通の生活ができるからね」と言っていただき、長い暗闇の10年間に光が差したようで、母に抱きついて泣いたことを今でも覚えています。
そしてこれが転機となりました。手術後はみるみる体調が良くなり、食事も普通にとれるようになりました。旅行にも行ける、友達とも遊べる、念願だったひとり暮らしも始め、本当に人並みに普通の生活ができるようになったんです。
ライターとして新しいキャリアをスタート
ちょうどその頃、もともと文章を書いたり、絵を描くことが好きだった私はシナリオライターやイラストレーターの学校に通っていたのですが、そこで仲良くなった友人からフリーランスのライターをやってみないかと誘われ、体調も良いし、今までとは違う何かに挑戦したいと思い、ライターとしての人生がスタートしました。
ライター業は土日も無く最初は月収も3〜4万円、体力・精神的にもきついことが多々ありましたが、ライターの仕事は自分に合っていたようで、苦しさよりも楽しさが大きく、夢中で仕事にのめり込みました。
再び潰瘍性大腸炎が悪化
ライターは10年ほど続けました。しかし、潰瘍ができる大腸を全摘出したのだから、もう病気は治ったものと思い込んでいましたが、40代に入るとお腹が痛くキリキリするようになりました。
次第に入院生活が増えていく中、同僚に手伝ってもらったり、病室で点滴をしながら原稿を書いたこともありました。
具合が悪くてもがむしゃらに仕事を続ける私を見て、当時のボスは「やりたいことと出来ることは違う」と、母親からは「親として心配でならない」と言われました。私の体を思っての言葉でしたが、その時の私は仕事への熱意もあって、反発心しか抱くことができませんでした。
主治医からは「まれに潰瘍性大腸炎の診断を受けても、クローン病を発症する人がいる」と聞かされていましたが、その言葉のとおり、46歳くらいの時にガクッと調子が悪くなって、狭窄のほか膣ろうや穿孔もできていることがわかり、穿孔部分の切除と永久ストーマ増設の手術を受けることになりました。
ボスからは「しっかり治してきなさい」と言われ、傷病手当申請をして給与をいただきながら、ストーマが落ち着くまで1ヶ月程入院しました。
財団法人へ転職
退院後、症状は落ち着きライターの仕事もしばらく続けましたが、体調面の不安と今後の貯えのこともあり、財団法人での仕事に転職することにしました。
転職活動については障害者向け求人のdodaチャレンジを利用しました。登録の際に「マスコミ関係の募集は無いに等しい」と言われたので、安定収入を目指して事務職希望で登録しましたが、今の会社で採用していただく際に私のキャリアを考慮して広報部に配属されました。私としては願ったり叶ったりで、今までのキャリアを活かせることがとても嬉しかったです。
具体的な仕事内容としては、社内向け広報誌の取材やWebサイト、SNS用コンテンツの作成です。勤務はフレックス制で週5日のフルタイム。
障害者雇用なので会社からの配慮もあり、体調が悪い時は周囲のサポートを受けることができて有り難いです。
一度責任のある仕事を任せていただいたことがあるのですが、その後に少し体調に不安を感じることがあり会社に相談をしたら、すぐに社内で話し合ってくださって、業務内容の見直しをしていただいたこともあります。
今後のキャリア
今後の展望については、好きな文章を書く仕事をずっと続けていきたいので、そこを軸に何か情報発信の仕事に携われたらいいなと思っています。
ただ、私自身の仕事選びのベースとして、やってみたいこと、楽しそうだなって思えることが基準なので、この先の人生でそう思える全く違うものがあれば、それにチャレンジするだろうし、それはそれで楽しみにしているところでもあります。
他のIBD患者さんへのメッセージ
若い頃は自分の境遇が苦しくて、暗く塞ぎ込んでしまうことがよくありました。しかし、これまでIBDとともに歩んできた経験上思うことは、無理に「暗くならないように頑張らなきゃ!」と思うのではなく、落ち込む時は落ち込んでも良くて、いつか気がついたらふんわり水に浮かぶように上がってこられる時があるので、それをじっくり待つのもありなのかなということです。
そして、本当につらい時、分かち合える人がいるというのも大きなポイントなので、同じ病気のコミュニティ等に参加して仲間を増やしていくことはとても重要なことだと思います。
もう世界では多様的な生き方が当たり前になっていて、IBDはそんな多様な生き方の先駆者的存在だと思います。病気だから…と引け目を感じることなく、これからも私は堂々と生きていきたいと思っています。
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