患者体験談

今回はクローン病の吉野こまちさんに体験談をご寄稿いただきました。学生時代の発症から現在のお仕事につかれるまでの経緯を詳しく教えていただきました。たびたびクローン病の悪化や合併症などを経験しながら、迷いながらも一歩一歩前に歩まれている姿に勇気をもらいました。現在取り組まれている学校に行けない子供を支えるお仕事も素敵です。ぜひご一読いただければと思います。


グッテスタッフ



ーー発症時の状況


中学3年生の受験期に発症しました。それ以前は練習量の多い部活に所属しておりクローン病の前兆はありませんでした。

 

まず初めにお腹や喉の違和感を感じましたが緊張や違和感でお腹の調子が悪いのだろうとと思いあまり気にしていませんでした。その後、水菜とトウモロコシを食べた時にそのまま便に出てきた経験をしてこれはおかしいと思い、同じ時期に結節性紅斑も出たため近隣の病院に行きました。

 

その病院で難病の可能性があると言われて総合病院を紹介されました。最初は小児科を受診しその後消化器科に移り確定診断を受け、そのまま入院となりました。潰瘍、びらんが悪化していたこともあり、薬を使わず半年間絶食し中心静脈栄養をとりました。

 

絶食を続ける中で喉やお腹の症状はなくなっていきました。また他のクローン病の方と比べて腹痛や下痢などのIBDらしい症状はありませんでした。その後退院前にレミケードを開始し症状が安定しました。

 

ーー入院後の中学校での生活

 

発症のタイミングは中学3年生の受験期でした。学校側よりしっかり休んだ方がいいと配慮をいただき、完全に授業を休み治療に専念することになりました。

 

その後体調が完全には戻らず結局入院したまま卒業しました。発症後は2回くらいしか中学校に行けなかったと思いますが、先生やクラスの子がお見舞いに来てくれたり、学校で温かく迎えてくれたことが本当に嬉しかったです。

 

元々は公立の高校を目指していましたが、クローン病を発症したため、単願推薦に切り替えて私立の高校に入学しました。

 

ーー高校における学校側からの配慮

 

4月の入学時には症状が安定していて、大きな体調不良は少なく普通に生活できていました。

 

学校側が病気に対して理解があったのはありがたかったです。入学説明会の時に、何かあれば別室で質問ができるという機会があり、診断書を持っていき学校側に病気のことを詳しく伝えました。

 

その結果、クローン病でトイレにいきやすいようにということで廊下側の席にしてもらったり、休み時間体調が優れない際に保健室のベットを使うことを許可してもらいました。

 

担任の先生がクラスメイトに最初の授業の時に私が病気であることを伝えてくれました。体育の授業や行事などもレポートを提出することで出席扱いにしていただくことができました。

 

ーー勉強に打ち込む


友達が少なかったこともあり、友人と放課後に出かけるなど一般的な高校生が楽しむような生活はしていませんでした。一方で、テスト期間に関わらず近くにあったフードコートで放課後もずっと勉強していました。

 

小中学校では正直あまり勉強をしていませんでした。しかし入院期間中に親へのありがたみを感じたことに加え、お金のかかる私立の高校に入学させてもらったことにも感謝の気持ちを持っていました。そして部活などにも取り組んでいなかったため、何か親に恩返しができないかと思った時に「学生だし勉強をしよう!」と思いました。

 

教科は国語が好きでした。文章をちゃんと読んで内容を理解し、自分の知識に落とし込んだ上でアウトプットを出すプロセスが面白かったです。社会・宗教・倫理などにも同様に興味を持ちました。

 

途中からフードコートで一緒に勉強する仲間ができて、放課後一緒にわいわいと勉強に打ち込めたのは本当に楽しかったです。唯一と言っていいほど、自分の中で青春を感じた瞬間でした。

 

ーー関節痛が悪化


高校の受験期に関節痛が出ました。あまりに関節痛がひどいので家から出られず、寝たきりの状態になりました。当時は学校と連携しながら単位を取得していて、授業ごとに必要な出席単位の確認していただきました。この授業は出る、この授業は出ないというところの計画を立てて可能な範囲で学校に通い、どうにか留年は避けることができました。卒業式は病院から外出許可もらい出席しました。退院したのは卒業後でした。

 

関節痛の中勉強していたのは本当に辛かったですが、関節痛のなかどうにか勉強を続けテストで上位を取ることができたのはさ自分の中で大きな自信になりました。

 

ーー卒業後のキャリア


関節痛が悪化したので受験勉強どころではなくなり、大学受験は断念しました。その後、親の勧めで公務員試験にも取り組みましたがうまくいかず失敗。さらに祖母が亡くなったショックでうつ病になり1年間ほど何もできない状況が続きました。

 

その後徐々に体調が回復してきたので働こうと思い、まずカラオケボックスでアルバイトを始めましたが、コロナの影響で休業となりそのまま辞職しました。

 

続いて知人の紹介で障害者雇用施設でパートとして働きました。この仕事では、お客さん一人一人としっかりコミュニケーションを取ることが求められました。その中で「自分は一人の人とじっくり向き合うことが好きなのだな」という気づきがありました。

 

その後現在の職であるフリーランスの塾講師としての仕事につきました。

 

ーー塾講師として学校に戻ることをサポート


塾講師としての仕事では、学校の授業についていけない、勉強の楽しさがわからない小学校から中学校までの方を対象に、勉強をしていくためのプロセスを手伝っています。

 

この仕事につくきっかけも知人の紹介でした。仕事のオファーを受けた時は勉強を教えることに不安はありましたが、勉強の楽しさを教えることということに惹かれ興味を持ちました。

 

フルリモートの授業で、1対1の完全個別制なので、塾講師というよりはどちらかというと家庭教師に近いイメージかもしれません。

 

授業の様子は様々ですし自由なので、ご飯を食べながら授業を受ける子もいますし、勉強の意欲が湧かずレクリエーションから始まる子もいます。一人一人に合ったやり方や方法でその子にとって一番集中できる環境を作り上げられるように意識しています。

 

心理学やコーチングなどさまざまな手法を駆使して、一人一人の生徒さんと時間をかけて信頼関係を作り、自分一人で主体的に勉強できるようになるようにすることをゴールとしています。

 

フリーランスという形態で契約しているので、自由度が高い一方で集客などへの不安も多いですが、日々勉強しながら学んでいます。

 

ーー今後の展望

 

どれか一つのことに絞るつもりはなく、塾講師もコーチング講師もクローン病を広める活動も幅広くやっていきたいと考えています。私が活動をしていく中で、少しでも同じ境遇の方の希望となれれば幸いです。

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