患者体験談

前回に引き続き、潰瘍性大腸炎のきなこさんの体験談です。
体験談三部作の第二弾です。
体験談②では中学生での発症後、学校生活や就労、就業上の工夫、妊娠出産経験などを綴っていただいています。
多くの方に参考になるのではと思います。ぜひご一読ください。
グッテスタッフ
Q.(学生での発症の場合)学校生活についてはどうでしたか?困ったことはありましたか?
診断前の学校生活は、症状がありながらもほぼ休まずに登校していました。本当に酷くなってきたころは家に帰って夜遅くにトイレで排便していました。よくあんな便の状態で毎日生きていたなと今では思います。すごい貧血状態だったのに体育や部活動(運動部)もしていたので、血便を忘れるくらい学校生活が楽しかったのだと思います。給食も家での食事も普通に食べることができていたのも救いだったと思います。また、当時は運動会や合唱コンクール、文化祭などの学校行事も続き、気が張っていたのかもしれません。
14歳というお年頃だったので、排泄に関して誰かに伝えるのが恥ずかしく、お腹の音も鳴りやすく困っていました。学校で薬を飲むときも周りの目が気になって、急いでこっそりと手洗い場で飲んだりしていました。時々服用するタイミングを失って飲めなかったこともあります。当時は粉の整腸剤だったので、錠剤に変更してもらえばもう少し飲みやすかったかもしれません。
部活動においては、潰瘍性大腸炎の合併症による関節炎だったのか肘の痛みに悩まされ、入院により体力も落ちたりして、一時期満足にプレーできなかったことが少し心残りでした。なので、大学で再び同じ種目の運動部に入りました。何事にもリベンジできる時が来るので、焦らず諦めずに挑戦してもらいたいなと思います。無理は禁物ですが、病気があるからこそ大きな達成感を得られると思います。
Q.(社会人の場合)どんなお仕事をされていますか?(書ける範囲で)
また、上司、同僚の方には病気のことを伝えていますか?
現在は専業主婦ですが、以前は看護師や相談員としてトータル約10年の勤務経験があります。
大学を卒業してまずは地元で一番大きな総合病院に勤めました。この身体でどこまで働けるか挑戦したかった、この病気でも働けるんだぞということを証明したい思いもあったと思います。しかし、3交替での病棟勤務は心身ともにハードで、働き始めて数か月で腹痛や粘血便の量が増え、半年でドクターストップがかかり夜勤免除でしばらく働くことになりました。その後は日勤のみのパート勤務に切り替え、外来や検査室などで働きました。ご縁があって別の施設や病院では日勤のみの正職員として勤めることができ、出産後は近くの総合病院内で相談業務に従事しました。
いずれの職場でも面接時に病気のことは伝えた上で採用してもらいました。履歴書に病気のことを記載したのでもちろん質問され、毎月通院治療が必要なこと、学生時代から投薬治療にて自己管理をしながら頑張ってきていることなどを話しました。先輩や同僚には働き始めてから具合が悪い時などの機会に少しずつ病気のことを伝えていきました。
ただ上司の中には私の病気に対して不満や不安を持つ方もいて、私のやりたいことやできることをうまく理解してもらえず、悔しい思いをするときもありました。また、総合病院の先輩からは早めに部署異動すればパートに切り替えたり辞めずに働き続けることができたんじゃないかと言われたりしました。でも病状が悪化しているときに、なかなか上司に訴えたり、話し合ったりする気力がありませんでした。
何度か挫折感を味わいながらも、病気のお陰で様々な業務を経験できたので、今となっては全てが強みになっています。
Q.(社会人の場合)病気と付き合いながら働き続ける上での工夫されていることはありますか?
私の場合、進学や就職、引っ越しなどの環境の変化から数か月後に悪化するパターンが多く、働いても働いていなくても悪化の周期が3~5か月だったので、再就職や転職にブレーキがかかることはありませんでした。徐々に自分の病状変化のきっかけやパターンが分かってくると、事前に心構えや注意をすることができると思います。
また、職場の人との日頃のコミュニケーションがやはり大事だと思います。飲み会や食事の場面も多くなります。私はお酒も飲み会の場も好きだったので、できる限り参加していました。もちろん症状があるときはこっそりと脂質やお酒を控えるようにしたり、事前に幹事や職場の誰かに伝えたりしておくことで、少し気持ちを楽にして参加していました。そして上司や先輩には、自分の病状の特徴や管理能力をしっかりと伝えて理解してもらうことも、お互いが心地よく、安心して働き続けるために必要だと思います。私は、中心性漿液性脈絡網膜症や肛門ポリープなどイレギュラーな病気が発症することも多く、迷惑と不安を与えてしまうことが多々ありました。日頃からその可能性も伝え、対処法を上司や先輩と共に考えておくことをお勧めします。
最近は、フレックスタイム制やリモートワークを取り入れ、フレキシブルな働き方ができる企業や職種も増えてきたように思います。自分の身体に合った職種や会社、業務を選択することも働き続ける(やりたいことを続ける)には重要だと思います。
Q.(妊娠、出産をご経験の場合)妊娠が分かった時に治療は変更されましたか?妊娠、出産、授乳について、経験談を書ける範囲でお願いします。
私は20代後半で自然妊娠しました。大腸炎の症状も比較的落ち着いている頃だったと思います。5-ASA製剤をペンタサからアサコールに変えたばかりでの妊娠発覚でした。5-ASA製剤は妊娠出産に影響がなく、妊娠中も継続して服用しても大丈夫という知識はあったのですが、主治医の指示で、念のためアサコールは中止して整腸剤だけでいくことになりました。
しかし、悪阻が始まったと同時に水様の下痢も始まりました。妊娠9週(器官形成期)を過ぎてからペンタサ注腸を開始しましたがあまり効果がなく、ステロイドの注腸剤に切り替えました。“ステロイド薬は赤ちゃんには影響ないよ、赤ちゃん自身からステロイドも出ているから”という助産師さんの言葉に励まされつつもお腹の子に申し訳ない気持ちで毎日注腸し、時に涙を流すこともありました。長期間の下痢により痔もできてしまい、ポステリザン軟膏にもずっとお世話になりました。正直、経腟分娩は痔もひどく、粘血便も出てしまうかもという不安があったので帝王切開の方がいいなと思っていました。また、初乳はちゃんと与えたかったのでステロイドの使用は初め不安でしたが、注腸剤のステロイドはほとんど母乳に移行しないと主治医に確認できたので、安心して使用できました。
妊娠7~8か月となるとお腹が大きくて注腸も注腸後の体位変換も大変でした。でもその頃から急に良い便が出るようになり、お腹の子からたくさんのステロイドホルモンが出ていることが感じられました。当時、消化器内科は車で1時間ほどかかる病院に通院しており、この頃になると通院が大変になってきたので、産婦人科と同じ自宅近くの総合病院の消化器内科に一時的に転院することにしました。
出産直前には普通便があり、丸一日の陣痛の末、胎児心拍が低下し(へその緒が身体に3重に巻き付いていたため)緊急帝王切開になりましたが、無事に出産できました。ICUで一泊し病棟に帰ってきて、ようやく我が子を抱っこすることができた時の感動は忘れられません。初乳も母乳も問題なく与えることができたので本当に良かったです。母乳を与えていた産後1年半は寛解状態が続き、整腸剤のみで過ごすことができました。
しかし、卒乳した途端に粘血便が出るようになり、再燃しました。ホルモンの影響はすごいと実感しました。主治医からは「本来の身体に戻ってしまったね」と言われました。
実は妊娠発覚直後に仕事中に下腹部痛があり、緊急で近くの産婦人科クリニックを受診した際、潰瘍性大腸炎の持病があることを伝えると、切迫早産の診断とハイリスク妊婦は総合病院に行くようにと言われた経緯があります。潰瘍性大腸炎やクローン病(IBD)患者の妊娠出産は、個人差はありますが病状悪化による流産や早産などのリスクはあります。産後に悪化する人も多いようです。患者にとっても医師にとっても安心して妊娠生活を送ることができるように、妊娠したらできるだけ産婦人科と消化器内科の連携が整っている総合病院に通院し、出産することをお勧めします。
Q.他の患者さんからの情報をどのように得ていますか?
10年程前までは、どうしていたのだろうと思うくらい潰瘍性大腸炎に関する情報は主治医から聞く程度しかありませんでした。もちろん、同じ病気の方と関わることもありませんでした。スマホも持っておらず、SNSにもあまり興味がなく、自分もそれほど求めていなかったように思います。
出産後、数年経ったある日、難病相談支援センターで開催されている難病患者同士の交流会の存在を知り、難病を抱えながらの子育ての孤独感や辛さもあったので、すぐに申し込んで参加してみました。すると、老若男女の難病患者が同じ空間で同じ作業をしたり自由におしゃべりしたり、また同世代の難病患者とも交流できたりと、とても楽しく充実した時間となり、リフレッシュできました。これをきっかけにIBDに関する講演会や交流会などにも参加するようになり、自分の体験談に興味を持ってもらえたり、感謝されたりする経験が増えていきました。
そこで難病相談支援センターの相談員の方の勧めで、難病ピアサポーター活動も始めました。同じIBD患者さんやご家族の相談に乗ったり、交流会を開催したりながら、他の患者さんたちから様々なことも学ばせてもらっています。
またその頃から徐々にIBD患者やご家族、IBD関連の団体や企業によるSNSなどのコミュニティサイトからも情報を得るようになりました。数年前から患者会活動にも関わるようになり、オンラインでの交流会やインタビューを受ける機会にも恵まれ、そこから情報を得ることも増えました。
ただ同じ病気でも一人一人、病状も環境も違うので、他の患者さんの情報や書き込みから共感できる点は共感して、あとは参考にする程度にしてすべてを鵜呑みにしたり、心乱されたりしないように距離感を持つことが大切だと感じています。
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