患者体験談

こんにちは、はじめまして!くわっち(@kuwatti_uc)と申します。


高校生なりたての2009年に潰瘍性大腸炎と診断され、その後2度の入院、結婚、妊娠出産、離婚を経て、現在は3歳になる娘と2人で暮らしをしています。


潰瘍性大腸炎やクローン病の患者さんは、そのほとんどが日々食事や飲み物に気を遣った生活をしていると思われます。


私もそのひとりで、完璧に寛解したZE!という時期を除き、食事に制限をかけたり、そのとき食べられそうな食べ物を探したり、冷たい飲み物を避けたりする生活が続いています。


ですが、わりと楽観的で、そしてわりと自由に生きています。


どうしてそんなにポジティブなのか?どうすればストレスを溜めずに暮らすことが出来るのか?


今までの経験で感じたこと、やってきたことを、少しお話させていただければと思います。


幼少期の経験から学んだこと


潰瘍性大腸炎だと診断されるずっと前から、私はお菓子をあまり食べない子供でした。


経済的に不安定だったこともあるのですが、祖父母が畑をいくつか持っていて、そこで採れるブルーベリーや金柑、トマトなど、野菜や果物をよく食べていたからかもしれません。


それでも、病気になるときはなってしまうものなんですねぇ。


IBDでは食生活の乱れが原因だと指摘されることはよくありますが、お菓子を日頃から好んで食べない人間でも発症します。


食事に関しては「気にしすぎない」ことが1番だと、この幼少期の経験から感じています。


例えば。


人によって考え方が違う「食品添加物」は、私は全く気にしていません。


添加物が入ってるからこれは駄目、あれも駄目、これは食べられない…だと、私の心が苦しくなってきてしまうな、と思ったのが理由です。


やっていて「疲れたな」「しんどいな」と感じたものは、やめてみる。


また、人間関係や家庭環境に悩む人も少なくありません。


母と思春期前から折り合いがつかず、養父(私が15歳の時に母が再婚したのでこう表現させていただきます)も子供とあまり関わりを持つことも無く、居心地のいい家だと言えなかった環境から飛び出すべく色々なことを試した結果、私は地元から遠く離れた愛知県に住むことになりました。


19になる少し前から今までかれこれ6年ほど、親とは連絡も取っていないし、結婚したことも、子供が生まれたことも知らないでしょう。


ポジティブな感じで書きたいので家庭のことはここでは割愛しますが、よく今まで死なずに生きてたなあと我ながら思います。


人間関係、なんかあったら逃げていいと思います。学校も、職場も。


部活も使命感に駆られて無理して居続ける必要はありません。部活はときに大人の世界よりもブラックなできごとが起こったりもします。


仕事はもしかしたら他の人ができるかもしれないけれど、自分の体を労わってあげられるのは自分だけです。


…という言葉でピンと来ない人は、「潔く休職して自宅療養するか、無理してぶっ倒れて会社に迷惑かけた上で入院するの、どっちがいい?」と考えてみてください。…できれば前者を選んで欲しいなあ。


家族から離れるとなると、例えば家を借りるときの連帯保証人とか、入院したときの身元保証人だとかちょっと厄介なものもあります。あとなんらかの疾患に罹った時のドナー探しとか。「血の繋がり」や「法的な縁」を求められるときが、大人になってもまだまだあります。


が、アパートの連帯保証人を代理してくれるところとか、連帯保証会社を使えば連帯保証人不要なアパートも増えてきています(地方にはまだまだ少ないです)。


いろんなリスクを受けた上でも、その場から離れるメリットが大きいときも、ケースによってはあるかもしれません。


外に出なくてもまあなんとかなる


IBD界隈を見回すと実家住まいの方が多いように思うのですが、ひとり暮らしも悪くないもんです。


連帯保証会社使って1Kのアパート借りてひとり暮らししてたとき、めちゃくちゃ楽しかったしめちゃくちゃ再燃しました。


仕事はどうにかやれていたのですが買い物がとにかく体力的にきつくて、ネットスーパーで買って届けてもらっていました。


最近ではスーパーマーケットだけでなく某国内大手通販サイトでもネットスーパーの取り扱いが始まったので、買い物しんどいマンはネットスーパーを是非活用してみてください。お店によっては薬や化粧品も取扱いがあるぞ。神かよ。


楽しいことがないとお嘆きの方は、新たなライフワークを始めてみませんか。


例えば、1日30分筋トレ。

メダカや金魚などの飼育。

サボテン育成や家庭菜園。


毎日コツコツ積み上げていくライフワークは、次第にムキムキボディになっていく自分にうっとりできたり(笑)、ちょこちょこ動く魚たちや日々成長する植物に愛着が湧いてくるはずです。


もちろん、ゲームやマンガも大歓迎!今では動画サイトやマンガアプリで「好きなときに好きなだけ」楽しめるコンテンツが増えています。


とはいえ「娯楽」と「休息」のタイミングを誤るとお腹のピンチに至りますので、とくにゲームは


・ひとりでもできるもの

・一時停止ができるもの

・オンラインゲームなら途中抜けできるもの


をおすすめします。


くわっちはゼルダの伝説シリーズが大好きで、各ハードずっとやりこんでいます。


派生でないメイン作品であれば一時停止もできオンライン要素も薄いので、ひとりでじっくりゲームしたい私にはぴったり。


そのほか、「桃太郎電鉄」「パネルでポン!」「ドンキーコング2」などなど、ひたすらやっていたゲームもたくさんあります。え、ハードは何かって?ニンテンドーのスーパーファミコンですよ(にっこり)


最近のものであればモンスターハンターシリーズや、steamのクラフティング系ゲーム(wayward、factory town、Rimworld、factorio、Terraria)なんかも大好きです。


ほかにも、アイドルが好きでよく動画を見ていたり、子供と一緒に踊ったり、歌ったり、恋愛小説読んで身悶えたり、乙女ゲーム(女性向け恋愛ゲーム)やってヒャッハーしたり、まあなんかいろいろやってます。


25歳、社会人8年目。同級生たちは仕事に遊びに恋愛にと全力投球している子もいれば、家庭を持ち穏やかに過ごしている子、波乱万丈な道を歩んでいる子もいます。


周りと同じことを「しなければならない」必要はなくて、自分がしたいことを、自分ができる範囲ですればいいと思います。


おなかがピンチ!…の前に、考え方を変えてみよう


時をさかのぼること数年前、中学生・高校生だった私は普通に教室で授業を受けていました。


穏やかで静かな授業中にも嵐は突然やってくるわけで、5%だった腹痛メーターが突然振り切れて80%になることもしばしば。溢れる冷や汗、お腹にこもる力。


そんなとき、「お腹痛い!収まれ!耐えろ!」と思っている人、けっこういるんじゃないでしょうか。腹痛(とおしりの耐久力)は意識すればするほど限界を迎えがちです。


ピンチのときは「だいじょうぶ」とお腹をさすってみましょう


自分に、そしてお腹に言い聞かせながら、ゆっくりお腹に手を当てるだけでも大丈夫です。

呼吸は止めてしまわずに、ゆっくり吸って吐いて。


…まあ、駄目なときは駄目なんですけどね(笑)。患者を10年やってても、なかなかお腹との付き合いはうまくいかんもんです。


わたしとIBD


ここまでIBDと関係ありそうでなさそうなことをつらつらと書いてきましたが、ここらで病気の話を。


2007年、中学2年生。自覚症状が出現。


この頃から腹痛と微量の下血に加え、氷食症(氷をガリガリ食べないと気が済まない)と抜毛症(毛髪を抜く)があり、お腹が痛いのも氷食症のせいだと思っていました。


どちらもストレスからくる広義的な自傷行為の一種だと知ったのはずいぶんあとのことです。


当時、母は准看護師。子供の体調不良よりも、仕事を覚えることが大切な時期。腹痛を訴えても、「氷を食べるのをやめなさい」「学校に行きたくないからと仮病を使うな」と言われていました。


熱が出れば母が働いている病院に罹り、腹風邪の薬をもらっていました。高熱が出ているなかで病院までの峠道を、ふらふらした足取りで歩いて行った光景と浮遊感を今でも覚えています。


学校では担任と母親がまめに連絡を取っており、私が仮病を使いたがっているという内容を担任が知ってもいました。


今思えば、田舎ならではの閉塞感と医療知識の乏しさが、だんだんと体を壊していくひとつの要因にもなったのだと感じています。


血便が出ても、胆汁の混ざった緑っぽい黒い水様便が出ても、高熱がずっと続いても、私が中学生時代に大きな病院にかかることはありませんでした。


2009年、中学卒業と引っ越しを機に、町医者からクリニック、クリニックから大病院へと紹介状を書いてもらい潰瘍性大腸炎と診断。高校入学直後、最初に症状が出てから2年後のことです。


大病院では高熱に下血続きで、簡単な内視鏡検査のあとそのまま病室へ緊急入院。


引っ越し、進学、親の再婚と過干渉、きょうだいの不登校、入りたくなかった高校。当時の私の身にはいろんなことが起こっていました。


でも当時の私は、仮病だと言われていた腹痛や「氷を食べるせいだ」と叱られ続けた下痢・下血が、実は難しい病気だと分かったことに安心をしていました。


病気だ、と肯定されて喜ぶ人はそうそういないかもしれませんが、否定的にののしられていたことが「そうではなかった」と判明するのは、重く沈んでいた自分の心をちょっとだけ軽くする気持ちの薬だったのだろうなと思います。


その後退院しGCAP治療1クールを経て、就職活動、そして社会人へ。


(先ほど書いたようにポジティブに書きたいので色々割愛しますが)愛知に引っ越してアルバイト、一人暮らし。


そのなかで出会った男性と結婚し家庭を持ちましたが、ずっと燻っていた大腸がいろんなことが引き金になり腸壁破裂寸前のところまでいき、1歳になったばかりの娘を残して入院しました。


退院後、それなりに揉めて離婚を経て、いまはこどもと2人で暮らしています。


どうでもいいですけど引っ越しは今まで11回くらい、学生時代には転校も2回しています。多すぎ!(笑)


私がIBD患者さんに伝えたいこと。


潰瘍性大腸炎と診断される前から、今まで。たくさん泣きました。


医療者の子供でありながら医療に恵まれなかったこともそうだし、妊娠出産ができないかもしれない、恋愛ができないかもしれないと分かったときも。


子供と離れ離れで入院したときも、離婚する前も。実親とのこと、配偶者のこと、生活のこと。


ごく普通の…という出だしで描かれる人生だったとしても、難病でも、子供がいてもいなくても、たくさん涙が出ることはあります。


「泣いたってなんにもならないじゃん」


そんなことはありません。泣きましょう。つらいときはつらいと言える場所を持ちましょう。


周りを気にして、気を遣って、涙を堪える苦しい世の中ですから、ネットの中だけでも「しんどいな」「疲れたな」って、お互い慰めあいませんか。


まだまだ私も、これからどうなるかは分かりません。また大腸破裂寸前になるまで不満を溜め込むかもしれません。


だからこそ、適度に「吐き出す」場所を、つらいときにつらいと言える場所を、どこかに作ることをおすすめします。


私が患者の親御さん、パートナーさんに伝えたいこと。


突然ですがクイズです。そこにずっとあるものだったけれど、壊れてしまうと二度と取り戻せないもの、なーんだ。


親と子の、夫婦の、もしくはカップルの「信頼関係」、きちんと築けていますか。


ストレスになるからって大義名分で好き勝手させていませんか。病気だから、ってフィルターを通して見ていませんか。


私が知り得る限りのほとんどの患者さんは、意思疎通ができ、会話能力もあり、自分の意思で行動もできる「外見では健常者に近い患者さん」が多いです。


そしてその大多数の患者さんが「やりたいと思ったことができない」ことに悩む姿を見ています。


そして私と同じように、その悩みに過度に干渉をされたり、逆に関心低く扱われたり、幼少時に過酷な環境に晒されていた人がいるのも事実です。


「うちはだいじょうぶ。」


本当にそうでしょうか。


この記事を読んでいる人は、子供との(もしくは親やパートナーとの)立場に悩んでいる人が少なくないはずです。


患者もひとりの人間です。小児患者でも、10歳を超えれば自分の意思でなにかを決めることも増えてくるでしょう。


カップルや夫婦であれば、性の違いによる身体への影響も考えて治療を決めることがあるかもしれません。


いつまでも巣に餌を運んでいては、雛は飛び方を覚えません。ときには危険と隣り合わせになりながらも、立派に空を飛べるようじっと見守る時間も必要です。


患者の意思を汲んだ対等な話し合いができることを、しっかりした信頼関係のもとに家族として在れることを、元小児患者として願います。


さいごに


患者になったばかりの頃、まだ携帯端末は二つ折りで(今ではガラケーと呼ばれていますね)、LINEやツムツムなんてもちろんありませんでした。ようやっとタブレット式端末が出たかな、というころです。


DSをみんなで持ち寄ってローカル通信して遊んでいたし、インターネットよりも書籍で学ぶ情報が多かったです。


あれから10年、指先ひとつでタッチするだけで、電源ボタン一つ押してすっとパソコンを立ち上げて、小さな端末でたくさんのことがことができる時代になりました。


ゲームは持ち寄って遊ぶんじゃなくて各家庭からネットで通信接続して遊べるし、なんなら入院中でもオンラインの世界にいられる、そんな時代です。


Gコミュニティさんのように、同じ境遇を持った、もしくはそれに関心のある仲間同士が集まれる場所も増えてきました。


難病と呼ばれる疾患の中で患者数が多い病気だからこそ、まだまだ変わっていける領域だと考えています。


こんな感じに明るくおちゃらけた人間に、とは言いません。


泣けるときに泣き、笑えるときに笑い、自分の気持ちに素直になれる。


そんな感情豊かな人生を送ってほしいです。

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