
今回は潰瘍性大腸炎患者のむねりんさんの体験談第一弾です。
むねりんさん、ご寄稿ありがとうございます!
第二弾は来週投稿予定です。どうぞお楽しみに。
(グッテスタッフ)
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2020年の発症から、プロサッカー選手を目指す夢の断念、大腸全摘、そして現在の社会人生活に至るまで。
「もう無理かもしれない」という絶望と、「またあの地獄か」という諦め。数えきれないほどの苦しみを乗り越え、自分に合う薬に出会うまでの私の闘病記をお伝えします。
1. 発症:アスリート生活が一変、病への「抵抗」
私が潰瘍性大腸炎を発症したのは2020年11月でした。当時、私は強豪大学の体育会サッカー部に所属し、プロ選手を目指して練習に励んでいました。

突然の血便に焦り、町医者から潰瘍性大腸炎の疑いを告げられ、専門病院へ。内視鏡の結果は「中等症」で、当初は全大腸炎型ではありませんでした。医師から「しっかり治療すれば重症化しない」と言われたこともあり、この時はまだ、そこまで深刻には受け止めていませんでした。
最初の治療薬は「リアルダ」。服用しながら部活動も続けていましたが、病魔は徐々に私の生活を侵食していきました。
◯突然の寝たきり生活と抵抗
身体が動くことが当たり前だった私にとって、この変化は受け入れがたいものでした。
「ずっとピッチを駆け回っていた自分が、いきなりベッドで寝たきりになる」という事実が、どうしても受け入れられませんでした。
焦りや不安から、「過去の動けていた状態に戻りたい」と必死になり、無理をして体を動かしては、かえって体調を崩す……。今思えば、それは病気という現実に対する、私なりの必死の「抵抗」だったのだと思います。
2. 再燃と入院:好中球減少と心の変化
2021年3月頃、症状が再燃。下血に加え腹痛も始まり、大学病院へ転院し「タクロリムス」の入院投与となりました。一時的に退院できましたが、わずか1〜2週間で再発し、再び入院することになりました。(初回の入院は2021年4月〜5月頃の約2ヶ月でした。)
再入院時、症状悪化の原因は、血液検査で判明した**「好中球の減少」**でした。感染症リスクがあるため治療を一時中断せざるを得ず、タクロリムスで収まった症状がすぐに悪化してしまいました。
「ステラーラ」に切り替えても症状は治まらず、「潰瘍性大腸炎と好中球減少が並行して起きている」と説明を受け、ステロイドの追加投与も始まりました。
◯不幸を呪う問いと、家族の愛による覚悟
治療がうまくいかない日々の中、ベッドの上で天井を見上げながら考えていたのは、**「なんで自分が?」「何がいけなかったんだ?」**という、答えのない問いばかりでした。病気になった自分を責め続けていました。
しかし、ある時ふと気づいたのです。 「自分の不幸を呪っていても、誰も幸せにならない」
孤独な闘病だと思っていましたが、ふと視線を向けた先に、私の病気で深く傷つき、悲しんでいる家族の姿がありました。家族が悲しむ姿は見たくない。
この思いが、私が病気という現実を真正面から受け入れ、「自分を責めても意味がない。それなら、今のこの身体でできることに集中するしかない」という大切な決意を持つための、最大の動機付けとなったのです。
3. 大きな決断:初めて意識した「絶望」と大腸全摘
ステラーラやステロイドを使っても寛解には至らず、2022年1月には炎症反応や栄養状態の低下が見られ、「命に関わる可能性がある」という説明のもと、私は大腸全摘手術を決断しました。(手術日:2022年1月27日)
手術を決断した背景には、限界まで達していた心身の苦痛がありました。 私は元々痛みに弱いタイプで、手術前は痛み止めの点滴に依存しなければ生きていけない状態でした。先の見えない闘病生活の中で、**初めて本気で「絶望」を意識しました**。それほどまでに、私は潰瘍性大腸炎によって追い込まれていたのです。

◯束の間の休息、そして「地獄」の再来
手術後は順調に回復し、ステロイドも25mgから同年6月には2mgまで減らすことができました。「やっと終わった」と思いました。
しかし、2022年7月頃、残存大腸に炎症が起き、発熱や血便が出現。8月に再入院し、炎症が治まらないため、8月末に**再ストマ(人工肛門)**を造設することになりました。
再ストマ後も小腸側に炎症が見られ、**回腸嚢炎(かいちょうのうえん)**を発症。 大腸全摘後に体調が良くなったのも束の間でした。「またあの地獄を味わうのか……」。半ば諦めの気持ちが心を覆い尽くしました。
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むねりんさんの体験談第二弾は金曜日に投稿予定です。(Gコミュニティスタッフ)