患者体験談

こんにちは

私は当事者ではなく

当事者の母になります

トコと申します


息子が15歳の時発病し

初回発作型の

潰瘍性大腸炎の劇症と仮診断

1年掛けて

識別判断難を経て最近クローンの診断で

やっと落ち着きました


中学を卒業し

春休みが始まり程なくして

ある日いきなり出血をしました


初めての出血が3月13日

その日からたった一月後の

4月13日に

大腸3/4を摘出をしました

4月23日に再手術で

残りの大腸を摘出しました


あの時の日々は

毎日がジェットコースターのように

次から次へと

色んな事がありました


175センチ58キロの息子は

一カ月で

38キロまで痩せ細り


肋骨は浮き出るのではなく

蜘蛛の腹のようにただ骨に皮が

つくように見え


術後は生々しく腹が開いて

中身が見えそうでした


骨と皮膚と内蔵しかない息子は

このまま消えちゃうんじゃないか?

そんな不安に日々かられていました


親と言うのは

不思議なもので

自分の事なら耐えられるのに

我が子の事になると耐えられません


当事者には当事者しかわからないように

親には親にしかわからないことがあります


そして当事者の体内戦とは違い

保護者には具体的な体外戦があります


ベクトルは同じでも

向き合う場所も

向き合い方も違います


15歳の思春期

親離れの時期で反抗期


変われるものなら

変わってやりたい


だけど変わってあげれないから

感情に駆られてフリーズするのではなく

親の私が

頭をフル回転して

必死に向き合い試行錯誤するのです


当事者と試行錯誤の保護者


気をつけないとボタンの

掛け違えをおこしたまま

澱のようにズレが蓄積してしまう

危うい類だと思います


なので

私は息子とたった一つだけ

「絶対に嘘をつかない」

と言う約束をしています


嘘をつかない為に

ズレが蓄積されないように


余裕があるときは

対話

余剰がないときは

絵手紙

時には拒絶に対する

引き際


ストレートに「今は母さんがウザい」

と言われたら

「わかった

暫くそっちに行かない

母さんは本日から

一階のトイレのDIYに取り掛かるとする

色々しまえる棚も作ったる

会いたくなったら飛んで行くからラインしな」と言う斜め45度の引き際


これは直情の対話ではありません


私は息子に返す答えの引き出しに

斜め45度の引き出しをいくつか持っています


人は想定外の反応があると

脳がフリーズして

呆気にとられてしまうんですね


母さんはいつも正しい。

それが今はウザい

切なそうに言い捨てた息子


褥瘡が始まりかけで

体位分散の話をしてた時だと思います


だけど伝えなきゃいけない事もあるし

病室で泣くわけにもいかない

息子を尊重する必要がある引き際でした


それ故に斜め45度戦法を選びました


この究極のシリアスな状況下で

親の返しが

DIYはさすがに想定外らしく

息子は唖然としていました


そして「母さんって、、、、アホだ

ごめんね。」

と苦笑いしながら吹き出していました


もちろん壁紙からタンクレス棚の作成

床材から自力でフルリフォームしました


私は有言実行の約束を守る主婦


あんなにワンワン泣きながら

一心不乱にDIYをしたのは

私も初めてです


ちなみに読まれた方は

何故この最中トイレリフォーム?

と思うと思います


我が家は昨年まで完全同居で

痴呆と末期癌の壮絶介護がありました

弄便が始まっていたので焼き付いて

いたのでしょう


神経質な息子は

一階を一切使いません

ある種のトラウマに近いのかも知れません


息子が一階二階のトイレをストレス無く

使える為に一新する必要がありました

ただの一掃ではなく

イメージの一新

元々暇を見てやるつもりだったので

サラッと出て来たんだと思います


その意図を息子は呆れつつ

すぐに理解した様子でした


この理解度は私と息子が積み重ねた

関係性の深さだと思います


私の趣味が割と思い切りの良いDIYなので

今まで幾度となく息子は駆り出されています


実際に

壁紙を剥がすプロ化している息子は

帰宅してから隅々までチェックをし

ここがイマイチだと難癖を付けましたが

ありがとうと言いました

もちろん一階も使うようになりました



話を元に戻します。


対話になると息子がイラつきそうな内容

今回の体位分散の話や

本当は聞きたく無いであろう

ストマの付け方の絵手紙や

注意事項を

会社帰りに見舞うダンナに託します


絵手紙は何枚も書きました


乱雑な文字

涙で滲んだ文字

一人で読んだ息子の涙か

ひたすら書いた私の涙か

今となってはわかりません。



そんな風に多岐に渡り

引いたり押したり

距離も近づいたり離れたりしつつ私は

コミニュケーションを取ります


たった数日で

「別に来てもいいよ、水分買ってきてほしいし」とツンデレなラインが

入りました。

「いや、今日は仕事帰りにホムセン寄るから

無理、、、父さんが夜行くから

ラインして買ってもらって。」

ツンデレVSツンデレです

飛んでいきましたけど。

思春期の親子は絶妙なバランスで成り立っています


なんやかんや次々と襲う荒波を

次々ねじ伏せ

退院するまで四カ月弱を要しました


そして退院後に


私は落ち着いてからTwitterを始め

IBDの当事者や保護者の方々と

web上で関わりを持つようになり


当事者の感受

保護者の感受の温度差や

違いに気が付いたりハッとしたり

後悔したり改めたり


症状の違いや

リカバリーの方法の違い

価値観の違いに

びっくりする事がありました


大きかったのは

孤独の奮闘から解放された事


私だけじゃないんだ

息子だけじゃないんだ


当事者であり医師でもある方

IBDと言う病気に向き合われる専門医の方

当事者の学生さん

当事者の大人の方


沢山の子供の難病に真摯に向き合う保護者の方々


色々な目線

色々な症状

色々な感受がありました


この文章もTwitterのご縁で

書かせて頂きました


Twitterの繋がりに

私は救われました


沢山の同士が居て


時にはG(黒光りのアイツ)について

多人数で一日中話し込んでみたり


性教育に対して

向き合ってみたり


エレンタールの量を

アンケートしてみたり


私のTwitterは

病気垢とは言え

脱線しまくりです


時には笑って

時には支え合い

時にはスルーし

時には共感したり

時には見知らぬ人を

心から応援したりされたり


吐き出して

呟いて

救われる


これが私のTwitterとの関わり方です


きっとGコミュニティも

この先沢山の方を支える

同じ役割りになるのだと思います


そして蛇足ですが

脅威の復活をとげた息子は

57キロまで戻り

バス通学で高校2年生をやっています


彼は前向きに考え

すぐに立ち止まって皮肉を言い

不安になっては奮起し

時にはダラダラとしながら

理不尽を乗り越えて


ゆっくり前進しています


私は私で

息子が自立出来るように

少しずつ手を離しています。


追記


あと一つこれも伝えたい


多分これから手続きをする方も

おられるかと思います


私は

病院でも

市役所でも

保健所でも


必ず同じワードを言いました


「私に何が出来ますか?

息子の為に出来る事全てをしたいので

私がすべく必要な最善の手続きを

全部教えて下さい」


割とこのワードで

助けられてきました


何か手続きが必要な時に

あれが欲しい

コレをしたい


だけではなく

全部教えて下さい


たった一言付け加えるだけで

お役所はワサワサします

指定された書類だけではなく

教えて下さいと言われると


必ず複数人でワサワサして

書類表をバサバサして

おられました


多分質問に対して

取りこぼしでの問題を避ける為だと

思います


実際二転三転する事もありましたし

二転三転しても


「ありがとうございます。

お手数お掛けしました

本当に助かりました」


必ずお礼をします


教えて下さい、ありがとうございます

この言葉は大切です


私も人だし

相手も人


どちらが優遇されるわけでもないので


素直に


「教えて下さい」

「ありがとうございます」


これは入院した時も同じです


患者と看護師さんとお医者さん


卑屈になる事も萎縮する事も

踏ん反るような態度も

要らない


「ありがとうございます」は大事


見知らぬ人同士だからこそ

大切なんだと息子には教えています


長くなりましたが


今ある荒波が

緩やかなさざ波に変わり


医学の進歩と共に

ある日一斉に全ての波が引く

その日を私は信じて待っています


皆さまも息子もオマケで私も

幸多き人生になりますように


トコ

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