質問&おしゃべり

Rare Disease Day (世界希少・難治性疾患の日、以下RDD)は、より良い診断や治療による希少・難治性疾患の患者さんの生活の質の向上を目指して、スウェーデンで2008年から始まった活動です。

日本でもRDDの趣旨に賛同し、2010年から毎年2月最終日に希少・難治性疾患の認知度向上のきっかけとなるイベントを各地で開催しています。


就労支援ネットワークONEと株式会社ジーケアが主催する「RDD就労crossing」(https://25nsv.hp.peraichi.com/)のイベントは、難病患者・希少疾患患者・長期慢性疾患患者、障害がある人の治療と仕事の両立、暮らしと仕事、働き生き甲斐を共に考え、共に創ることを目指しており、2/19と2/26に開催されます。


今回は、2/19に開催されたイベント【当事者体験共有の時間】内の「4名の難病患者の方々の体験シェア」と「パネルディスカッション」の様子を2回に分けて投稿いたします。


4名の難病患者の方々は以下となります。

 Aさん(多発性硬化症/視神経脊髄炎)

 Bさん(全身性エリテマトーデス)

 Cさん(強直性脊椎炎)

 Dさん(クローン病)



<<Aさん:多発性硬化症/視神経脊髄炎>>

発病してから19年たちます。高校卒業後、美容院に就職してから今まで現役で22年美容師を続けています。

現在は美容院に直接雇用されるのではなく、業務委託で美容師をしています。


発症時についてですが、23歳の時に、しゃっくりがとまらなくなって、食べたものも吐いてしまうような症状が1ヶ月続きました。

現在の病名とは違う病名で診断されましたが、26歳に再度症状が出た時に職場の人にセカンドオピニオンを勧められ、現在の病名(多発性硬化症/視神経脊髄炎)で診断されて緊急入院しました。


20代は2年おきくらいで再発を繰り返し入院をしていました(1ヶ月入院、1ヶ月リハビリ、退院後1ヶ月は療養で体力をつける、の3ヶ月コース)。

最初の入院では下半身が動かなくて車椅子での生活になり、次の入院は手がうごかない、みたいな感じで症状がありました。

技術職である美容師は、手が動かないと仕事にならないため、「仕事に復帰できるのか」「美容師を続けていけるのか」という不安が常にありました。

入院時は休職扱いにしてもらっていましたし、職場は、いつも自分の戻れる場所を用意してくれてはいましたが、いつ解雇されるのかと不安でした。


当時のお店(今の職場の1つ前)は、病気が再発したことで美容師を続けることが難しいと考え、美容師を辞めるつもりで退職しました。

その時に中金さんと出会って色々話をしました。

完全に仕事をやめると収入がなくなるので、派遣の美容師をしながら就職活動を続けていた所、カット専門店の今のオーナーと出会いました。

カット専門店だとパーマやカラーのような他の仕事がない分、体への負担が少なく、何度か派遣で仕事をしたところ正社員にならないかと声をかけていただき、自分でも”こういう形なら仕事を続けられるかな”と思いました。

正社員にならないかと声をかけていただいたタイミングで病気のことを伝えました。

ただ、正社員になると色々とやらなくてはならないことが多いので、正社員としての勤務はお断りし、業務委託という形で仕事を続けることにしました。

現在の仕事は、10時から20時までの勤務で、月に6日〜7日の休みがあります。


20代の時は、とにかくわけがわからず必死でした。自分の内面を気にするようになりました。

自分でもネットで色々調べたし、専門の医師にも色々教えてもらいました。 会社の社長はセカンドオピニオンをしてみては?と声をかけてくれ、色々な人に支えてもらいました。

30代の時は、軽い再発が1年おきくらいでおきましたが、体の異変に気づくようになり、再発の発見が早くなったことで、重症化せずに済むようになりました。


最初は、美容師がかっこいいという思いで始めた仕事でしたが経験を積み、話をしたり人と関わるのが楽しいです。

また、自分の手で誰かをかっこよく・かわいくできたりすることが嬉しく、やりがいに感じています。

自分の技術や経験を高めて「髪を切る時間」が、その人の人生や時間を豊かにする仕事をしていきたいと思っています。




<<Bさん:全身性エリテマトーデス>>

大学卒業後、精神科デイケア老人保健施設にて勤務をしていましたが、待遇に不満があり、精神科病棟の作業療法士へ転職をしました。転職先では今年の3月から働きます。


全身性エリテマトーデス(SLE)は 膠原病の一種で、自分の免疫細胞が自分自身の体を攻撃する病気です。例えば、日光にあたると赤くなったり、体調が悪くなります。


大学1年の春休みに発症して、大学2年生の時作は、体が動かず辛いなと思っていました。先生に相談をしたら、リウマチの人もちゃんと免許とって卒業したよという話をしてくれて、作業療法士になるのを諦めずに、免許をとってやろう!とがんばりました。


作業療法士になったのは、もともと就労支援をやりたいという夢があるからです。就労支援ができるようになるための下積みとして、精神科の病院でがんばろうと思っています。ただ、作業療法士だけで終わるのは、自分の人生としてもったいないと思っています。

夢はもう一つあって、自伝を出したいと思っています。今回のイベントのような機会を通して「こういう人もいるんだよ」っていうことを伝えたいです。



<<Cさん:強直性脊椎炎>>

高校生の時に、膝が痛みだし股関節も痛くなるようになりました。なので体育は見学して過ごしました。

卒業後、自動車製造業に就職しましたが痛みは消えない状態が続き、親類が探した大学病院を診察した結果、血液検査結果が異常値で即入院となりました。7ヶ月半後に診断が確定しました。当初は安静が大事と言われていましたが、痛み止めを使ってでも動かすことで症状がやわらぐので、10代から30代はがんばって動いていました。40代にはいったところで、歩行ができなくなりました。医師から勧められて人工関節をいれる手術をしたら歩行ができるようになりました。


現在は毎日職場で8000〜1万歩は歩ける状態です。痛みは常に消えないので痛み止めを使っています。 病気の痛みとどう向き合いながら過ごすかが自分の課題です。

就労は、11年前から障害者雇用で緑地管理や清掃の軽作業と呼ばれる仕事をしています。




<<Dさん:クローン病>>

仕事のプロフィールは、大学卒業後入社した広告会社で営業の仕事に携わりました。その後人事に異動し、現在は新卒採用ディレクターの統括をしています。


病気も含めたプロフィールは、大学時代からお腹が弱くて体質かなと思っていましたが、徐々に症状が悪化していったように思います。大学在学中もお腹が痛くて救急車で運ばれて、急性腸炎という感じの診断で1日だけ入院をするような経験をしました。

入社一年目の冬にも体調を崩し、精密検査を受けた結果クローン病と診断されました。この時は1〜2週間で退院して営業職を続けました。この年以降は寛解していましたが、5〜6年後に再燃しました。高熱が続き病院へ行ったら腹膜炎を起こしていて、小腸を20〜70センチ切除しました。回復に時間がかかり半年くらい入院し、退院後数ヶ月後に人事に異動となりました。人事では採用、障害者雇用、人材育成に携わっています。


治療とキャリアデザインについて”5〜10年後こうなっていよう”というビジョンは持っていません。自分自身は、”持つ必要がない”と明確に思っています。なぜなら、10年前に今の世の中がどうなっているか、想像しえなかったのと同じように、世の中が想定外に変わっていくのなら、先を決めてもしようがないと考えているからです。ビジョンは持たなくても”今できること””やりたいこと”をがんばった結果でキャリアができていくと考えています。

このような機会で、難病当事者&人事採用視点で色々話せたらいいなと思っています。


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イベントの前半「4名の難病患者の方々の体験シェア」は以上です。


私個人の感想としては、普段、IBD以外の疾患の話を聞く機会は多くないので、疾患が変わるとこのような困りごとがあるんだなと発見がありました。

と同時に、4人の方の言葉の中に、自分にも既視感のある気持ちを感じたり、違う場所・時間だけれども確実に自分も見てきた光景を、4名の方々も見てきたんだろうなと思えました。

直接話をしたことがなくても、戦友のような気持ちがありました。



後半の就労支援ネットワーク中金さんと4名の難病患者のみなさんとのパネルディスカッションは、次回の投稿となります。



なお、今週末(2/26)に開催されるイベントは、以下から申し込みが可能です(2/25(金)24時まで受付可)

https://docs.google.com/forms/d/1q0w2I30RJjIokM2fGPLQkR5JaAvLGSxDShlRv9kd1sU/viewform?edit_requested=true


【支援機関、就労情報共有の時間 /「難病患者、希少疾患患者の就労の今、そして未来を考える」】

・日時:2/26(土) 14:00pm-16:30pm

・概要:

1)1部:「難病患者の方も利用可能なサービス・支援について 利用説明」(仮)

  お話:高齢・障害・求職者雇用支援機構東京支部 東京障害者職業センター 次長

2)2部:「難病患者、希少疾患患者の就労の今、そして未来」

 インタビュー・対談. 吉川祐一氏(一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA)代表理事)×中金竜次(就労支援ネットワークONE)

3)

① 「‘難病患者の社会参加白書‘について」 

  重光喬之氏(NPO法人両育わーるど 理事長/難病患者の社会参加を考える会 発起人)

② 「IBD患者さんの仕事の工夫~働きやすい環境づくりとキャリア選択~」

  宮﨑拓郎氏(株式会社ジーケア/米国管理栄養士(RDN)・公衆衛生学修士・中小企業診断士)

③ 全体パネルディスカッション 「難病患者、希少疾患患者の就労の今、そして未来」

 (両育わーるどの重光氏、ジーケアの宮﨑氏、就労支援ネットワークONE 中金氏、3者)

コメント一覧

リノ (スタッフ)
2022/2/24