質問&おしゃべり

毎年2月末日はRare Disease Day (世界希少・難治性疾患の日、以下RDD)です。2008年にスウェーデンで始まり、より良い診断や治療による希少・難治性疾患の患者さんの生活の質の向上を目指した活動が行われています。日本では、2010年からイベントが開催されています。

 

今回は3/5に日本AS友の会と共催したRDDおしごと(適職)2022「その人らしい人生、しごと」のイベントの様子を投稿します。

 

【参加人数】

視聴参加者:50名

 

【概要】

第1部 患者の親からみた子どもの人生、しごと

潰瘍性大腸炎の息子さんを持つゆーみんさんとエーラス・ダンロス症候群の息子さんを持つさとさんのお二人からお話をお聞きしました。

第2部 「その人らしく生きることを助けるもの」

臨床心理士の先生による講演では、「その人らしい人生」を送る上で、ヒントとなる心理学の考え方・理論などをご紹介いただきました。

 

【内容】

第1部 患者の親からみた子どもの人生、しごと

①    宮﨑さん司会

ゆーみんさんインタビュー

2016年12月(息子さん高校3年生)血便があり、肛門科受診。潰瘍性大腸炎かもと言われた。ショックで、普段泣くような息子さんではなかったが、帰りにうどん屋で涙。

親子で落ち込んだ。

年末のため、翌年1月病院受診。潰瘍性大腸炎と診断。

最初はペンタサで良くなったと思ったが、受験のストレスがあったのか悪化。

本人は学校に行くだけで精一杯だった。

できることをやろうと思い食事療法、民間療法を含めていろいろと調べた。

漢方を調子の悪い時にだけ飲むのを始めて、症状が落ち着いた。ペンタサから薬も変えた。

2月 第一志望に合格。気持ちも落ち着いた。

―親子の距離感をどうとればいいか悩んでいる人が多いと思いますがどんな感じでしたか?

高校の時は私が調べて、あれこれすすめていた。食事が大事だと思っていた。

なんとかなると声かけ。

大学になり、自分でもNG食材が分かってくる。

気になるけど少しずつ言葉に出さないようにした。

大学に入ってからは下痢、粘液がでることもあるが体調はまずまず。

早めに就職を意識して情報収集、イベント参加。

毎日就活の話をたくさんして、本人が嫌な気持ちにならない程度にアドバイス。

試験に落ちたときはフォロー。

内定が出た時本当に行きたいところか悩んでいた。

最終的には自分で決めたように思う。

男の子ということもあり、普段あまり自分のことを話すようなタイプではなかったが、就活を通して話してくれるようになったのが嬉しかった。

信頼感、絆が深まった。

見守っていくスタイル。

―これからの期待、不安ありますか?

会社に入ると、仕事の厳しさもあると思うのでストレスや飲み会でお酒を飲む機会もあると思う。お酒はあまり飲まないが、悪くなるイメージ。

転勤も絶対にないわけではないので一人暮らしは不安。

本人は今、働くのが楽しみ。

本人の気持ちを考えて、先のことを考えないようにしている。

―これから就活のお子さんを持つ親御さんへのアドバイスをお願いします。

診断されて数年は自分を責めた。

受験、就活と人生の大事な時期、先のことを考えるとみんな不安だと思う。病気がなくても。

見えない未来のことを悲観せず、どこかで気持ちを吐き出したり、支えになるものを見つけて、無理せず毎日過ごしてほしい。

 

②    日本AS友の会塩野さん司会

さとさんインタビュー息子さんがエーラス・ダンロス症候群

見た目では分からない病気。

保育園では理解してくれる先生もいれば、そうでない先生もいた。

子どもらしく生活させたいと先生には言い続けた。

危ないからと園長室にずっと入れられた。一緒に園庭で遊ばせた。親が責任を取るからと。

3つめの保育園では病気のこともわかっていて入ったので、対応してもらえた。

本人が「いい保育園みつけてくれた。ありがとう」と。

小学校入学前に校長先生と何回か面談。

病弱児支援学級を作ってもらい、対応。

遠足や運動会も参加できた。

机やいすが重たいからと同級生が運んでくれたり、社会科見学では歩く距離が短いほうがいいだろうと学校から一番近いお店の見学にしようと同級生が考えてくれた。

中学校では各教科の先生で対応が違った。

痛み、疲労感、分かってもらえない。

1年生は1階の教室の横に支援学級を作ってもらえた。休み時間に、支援学級で横になれるように。

でも、2年生になって2階の教室になり、支援学級を1階から2階にしてもらえなかった。

2階の教室から1階の支援学級に毎日何度も移動することになり、それだけで疲れが出る。

修学旅行の後、入院。車いすを利用するように。

SSW(スクールソーシャルワーカー)と面談。

本人「車いすでも大学生になれる?」

前向きさに気づけた。

中学校では不登校の時期あり、さとさんがしていたこともあってか手話をYouTubeで独学で覚えた。

支援学校高等部進学。

全国手話パフォーマンス甲子園準優勝。

手話も体には負担があった。

肩の脱臼が戻せなくなる。

「なんでこんな体で生んだんだ」など罵声。

毎日ドライブを1時間。本人の話を聞くことしかできない。

無言の日、泣きながら話す日。

大学の合理的配慮を支援学校から申請してくれた。

支援学校ではとなりに病院があった。

授業中に脱臼したら、病院で戻してもらって授業に戻る。

点滴をしながら授業を受けたこともあった。とてもいい環境だった。

大学は家から電車とバスで遠い。

一人暮らし、片道15分圏内の車いすでも生活できるアパートを探した。

大学には保健室もあり、他にも車いす通学の人がいた。

病院も自分で行ける距離にあった。いい環境。

今までは受け身だったが自分で少しずつ体調管理できるようになった。

一人暮らしして良かった。

親から見れば病気見てくれる良い環境。今の病院を離れるのはどうかと思う。本人はいろいろやりたいと言っている。話し合いたいと思う。

 

第2部 「その人らしく生きることを助けるもの」

臨床心理士 河邉 先⽣ 講演


レジリエンス:困難から立ち直る力

〇人との関係をつくるアタッチメント理論とは

赤ちゃん

外的:見知らぬ人、知らない場所、暗闇など

内的:飢え、乾き、不衛生、病気など

→ネガティブな情動状態

→強くて大きな存在にくっつく

→危機・不安が取り除かれる。ほっとする。安心する。

 

〇安定したアタッチメント

子どもの気持ちのサインに応えること。

安心できる養育者の元から外の世界に挑戦していき、また不安になると戻ってくることのできる状態。

少しずつ心の中に安心感が根付いていく。3~4歳。

 

〇不安定なアタッチメント

心臓病で泣けない赤ちゃん、そもそも挑戦させられない。不安にさせられない。

発達障害で他の子をたたきつけることあり、動かないようにさせている保護者もいる。

無秩序、無方向なアタッチメント。

ネグレスト、養育者が機能していない場合など。

 

青年期は脳科学的にも不安定。

アタッチメントは生涯にわたるきずな。

これまでの経験を持って作られる。

 

〇メンタライゼーション

対話では話の内容だけじゃなく、相手は何を話したいのか、どういう人なのか、価値観など。

自分像、他者像をつくっている。


〇うまくいかないパターンと対策

1 分かっていると決めてかかる状態 → 好奇心持ってみる、行動の背景を考える。

2 頭だけで理解。口先だけ。 → なかなか気づくのが難しい。退屈に感じられるとき話に口をはさんでみる。

3 問題解決にばかり意識が向いている。 →自分の行ってほしいこと、相手のニードすりあわせ。

 

〇うまくいかないときに思い出したいこと。

自分自身の心をモニター

相手の心に対する好奇心と尊重

→意図をしっかりと示すこと

理解されていると感じることによって初めて人は相手の言葉や価値観をきくに足りるものとして捉える。

 

質疑応答

・心療内科にカウンセラーがいないことも多い。どうすればいいか?

コミュニティを大事に。自閉症では青年期など年代別にコミュニティがある。

学校ではスクールカウンセラーがいる。

理想は同じ人に長くカウンセリングを受けることだが、限界がある。

理解者を増やしていく。繋がれる人をみつけてつながる。

やれるコミュニケーションを続けていく。

 

・仕事についての悩み

人生何を重視するか。

何のために働いているか見直す。

できる、できないが全てではない。仕事だけではない。

人生全般を見る。できてないと思ってただけで、できていたこともある。

自分の価値観の棚卸しが必要。

 

・仕事選びについての悩み

自分について知っていくことが大事なのではと思った。

 

【リノの本イベントの感想】

普段なかなか聞けない貴重なお話を聞けて、とても充実した時間だったと思います。

第1部では、私は患者当事者なので親の視点で考えることがなかなか難しいこともあり、お話を聞けて良かったです。

今まで家族のフォローがあったからこそ乗り越えられたこともあったんだなと再認識できました。

第2部では、アタッチメントなどの話で、温かい気持ちになれました。

「はたらく」ということについて改めて考えることのできる機会になりました。

ご登壇いただいたみなさん、本当にありがとうございました!

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